家づくり
2024年3月8日更新
土地不足、補助金による公共工事価格が住宅建築高騰に|住民主体の街づくりへ転換を[家づくり 発想変えるヒント](12)
今、住宅を取得することは一大事だ。満州大連で生まれた私の父は、敗戦後、財産を全て没収され日本本土に無一文で引き揚げてきた。「カタツムリやヤドカリでも家があるのに、自分は住む家もなく苦労した」と生前よく話した。沖縄は大都市でもないのに土地も建設費も高く、銀行の住宅ローンの返済期間が50年というのが増えている。返済終了前に建物が老朽化して建て替えになれば、一生ローン返済に追われる。
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土地不足、補助金による公共工事価格が住宅建築高騰に
住民主体の街づくりへ転換を
今、住宅を取得することは一大事だ。満州大連で生まれた私の父は、敗戦後、財産を全て没収され日本本土に無一文で引き揚げてきた。「カタツムリやヤドカリでも家があるのに、自分は住む家もなく苦労した」と生前よく話した。沖縄は大都市でもないのに土地も建設費も高く、銀行の住宅ローンの返済期間が50年というのが増えている。返済終了前に建物が老朽化して建て替えになれば、一生ローン返済に追われる。
日本では自己責任で住居を求めることになっている。土地も建物も商品として扱われ、投資や利潤追求の対象となっているため高くなる。そもそも住宅は国民の誰もが必要なもので、憲法第25条には「すべて国民は文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定している。これは生存権であり、国家には生活保障の義務があるはずだ。
沖縄戦前の首里の模型写真。450年続いた琉球王朝時代の建物や住宅などの社会資本が蓄積され、歴史的景観のある街だった(提供/首里城公園)
沖縄戦後の宜野湾市の様子。復興時、良好な土地が基地に取られ、街に不向きな低地や丘陵地にインフラ整備もなく街ができた(提供/ふるさと飛行)
ベルリン・ブリッツの住宅団地。住宅が社会資本として位置付けられ、安心安全な街づくり・国づくりがなされている(グーグルアースより)
沖縄の米軍基地図。着色部が現米軍基地。濃赤部は返還済み。基地問題は単に軍事問題だけでなく、住民の生存権・主権の大きな障害となっている(『沖縄の米軍基地(沖縄県)』より)
第1次世界大戦後、オランダやドイツでは社会民主主義的政策として多くの公的集合住宅が建設され、百年たった現在でも大切に使われている。またシンガポールでは重要な国策として住宅政策が位置づけられ、道路・公園・交通整備とともに安価な公的集合住宅が建設され、国民の80~90%が住んでいる。住宅を社会資本として整備し、安心安全な社会を目指した。かつては貧しい小国だったが、今や経済も緑も豊かな美しい大国となっている。
私たちの沖縄はどうか?温暖で自然豊かな沖縄は、かつては諸外国と交易し栄華を誇る歴史と伝統文化を持つ琉球王国だった。しかし沖縄戦で多くの人命と首里城などの貴重な建造物や住宅や街など社会資本を全て失った。戦後は良好な土地を基地に取られ、低地や丘陵地に粗末な住宅を作り街が生まれ、後を追うようにインフラ整備が行われ、現在に至る。
土地や建設費が高いのは、基地による土地不足や高い軍用地料、補助金に基づく公共工事価格の設定によるところが大きく、県民は今なお環境・都市・交通・住宅問題が山積する街での生活を強いられている。望む住宅を得られないのは、実はわれわれ個人の責任だけではない。安心安全を目指す住民主体の街・建築づくりへの政策転換をしない限り、未来はない。=おわり
ふくむら・しゅんじ
1953年滋賀県生まれ。関西大学建築学科大学院修了後、原広司+アトリエファイ建築研究所に勤務。1990年空間計画VOYAGER、1997年teamDREAM設立。沖縄県平和祈念資料館、沖縄県総合福祉センター、那覇市役所銘苅庁舎のほか、個人住宅などを手掛ける
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1992号・2024年3月8日紙面から掲載
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