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2023年3月24日更新

仲座久雄のしごと 沖縄ホテル|沖縄ホテル(那覇市大道)|絵になる風景⑫

「風土に根差した建築」を目指して設計活動を続ける山城東雄さんが、建築家の目で切り取った風景を絵と文章でつづります。(画・文・俳句/山城東雄)

「沖縄ホテル」

戦前から戦後にかけて活躍した、沖縄が生んだ偉大な建築家・仲座久雄。沖縄ホテルの設計のお手伝いをすることになった私は、この煉(れん)瓦(が)棟はじめ、旅館棟、宴会棟等のすべてが戦後間もないころの仲座久雄の設計でまとめられていることを知り、ますますその偉大さに触れることになった。このホテルには山下清、棟方志功、柴田錬三郎、陶芸家の浜田庄司など著名な面々が投宿した歴史がある。

戦後、沖縄諮詢(しじゅん)会の紹介で海軍政府工務部に就職した建築技師・仲座は、誰でも建築可能で、手早くできる規格住宅の設計を命じられた。仲座は小径木を使い、茅(かや)葺(ぶ)き屋根の小型の規格住宅を設計、いわゆる「きかくやー」である。それが県内各地で増産され(4年間で7万3500戸も建てられた)、人々の生活基盤を築いていった。

当時、住宅だけでなく、学校建築なども急務であった。圧倒的な資材不足を補うため、嘉手納基地の中に煉瓦工場が建てられたのだが、その設計も仲座が担当した。その工場で煉瓦製造の責任者だった金城田助がその煉瓦を使い、自らが営む金城カンパニーの社屋として大道に建てたのがこの煉瓦造である。

戦後まもなくホテル再建の必要に駆られた宮里定三(戦前からの創業者)がこの建物を見つけて買い取った。急きょ内装を変え、ホテルとしてスタートを切ったのが1951年のことであった。

仲座はこれ以外にも、学校など煉瓦を使った建築をしているが、唯一残っているのがこの煉瓦棟であり、私は愛着を感じ描いてみた。


風光る巨匠(たくみ)の技や古き宿

【注釈】沖縄ホテルは戦前、那覇市の西海岸である「波の上」に3階建ての豪華貴賓ホテルとして開業。東条英機総理大臣や外国の要人などが宿泊していたが、残念ながら戦争で壊滅した


[執筆者]
やましろ・あずまお/1944年、竹富町小浜島出身。沖縄工業高校建築科卒業後、建築設計会社での勤務を経て、34歳の時に東設計工房を設立して独立。一級建築士。JIA登録建築家。(株)東設計工房代表取締役。(一社)おきなわ離島応援団代表理事。著書に「沖縄の瓦はなぜ赤いのか」がある。

毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1942号・2023年3月24日紙面から掲載

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