地域情報(街・人・文化)
2023年2月24日更新
庭屋一如 宮良殿内 |宮良殿内(石垣市大川)|絵になる風景⑪
「風土に根差した建築」を目指して設計活動を続ける山城東雄さんが、建築家の目で切り取った風景を絵と文章でつづります。(画・文・俳句/山城東雄)
「宮良殿内」
八重山観光では欠かせない「宮良(みやら)殿内(どぅんち)」は1819年頃、八重山の行政官・宮良(みやら)親雲上(ぺーちん)当演(とうえん)によって建てられた。だが、琉球王府は5度にわたって取り壊しを命令。士族屋敷を模していたこともあり、身分不相応としたのである。屈せずにいた当主だったが、1874年にとうとうかやぶきに改造。しかし1899年には再び瓦ぶきに復元した。現在では、王府時代の士族屋敷を保存した、県内で唯一の建物として国の重要文化財に指定されている。
庭は首里の庭師・城間親雲上の作だといわれる。日本式枯れ山水の技法を駆使しながらも、白砂にサンゴの岩を巧みに組み合わせ、海岸をイメージさせる南国特有のつくりで国の名勝に指定されている。
まさに「庭屋(ていおく)一(いち)如(にょ)(建物と庭が一体となる美しさ)」の語源のように、宮良殿内は建物と庭との一体感に魅力がある。
私が幼いころ、この大きな屋敷は近寄りがたい存在であったが、建築をやるようになってからは、親しみを感じ何度か訪れている。魅力を感じるのは、462坪の大屋敷の周辺を囲むフクギと石垣、すべて骨太のチャーギで造られた母屋の力強さである。また、しっくい塗りの壁に赤瓦を乗せたヒンプンは、中央に木製の開口があり、慶弔事にしか開放しないという独自性がある。
宮良殿内には八重山の歴史文化が凝縮されている。私が好んで描いたのは、首里の士族屋敷に見られた四脚門である。表側の大ぶりの相方積みの石垣と相まって、この屋門(やーじょー)(瓦屋根をのせた門)が一段と魅力を醸し出している。
寒(かん)凪(なぎ)に輝き勝る瓦門
[執筆者]
やましろ・あずまお/1944年、竹富町小浜島出身。沖縄工業高校建築科卒業後、建築設計会社での勤務を経て、34歳の時に東設計工房を設立して独立。一級建築士。JIA登録建築家。(株)東設計工房代表取締役。(一社)おきなわ離島応援団代表理事。著書に「沖縄の瓦はなぜ赤いのか」がある。
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1938号・2023年2月24日紙面から掲載