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2023年6月30日更新

首里杜を見守る御嶽石門|園比屋武御嶽石門(那覇市)|絵になる風景⑬

「風土に根差した建築」を目指して設計活動を続ける山城東雄さんが、建築家の目で切り取った風景を絵と文章でつづります。(画・文・俳句/山城東雄)

「園比屋武御嶽石門」(P15号)

首里城の敷地内、門の背後にある森が園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)である。国王が旅に出る前に必ず拝礼したり、聞得大君(きこえおおぎみ)が就任する時も最初に拝礼する国家の聖地である。

守礼の門をくぐると、すぐ左手にこの礼拝所の石門が厳然とたたずむ。国指定重要文化財であり、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つでもある。

石門は、1519年、第二尚氏王統三代目・尚真王の時に造られた。1500年、オヤケアカハチの乱で王府軍が八重山出兵した際、将の一人だった大里親方が見込んで首里に連れて来た西塘(にしとう)により創建されたという。日本の寺院や神社に見られる木造的な形と中国的なアーチ型の破風屋根が、琉球石灰岩を用いて見事に表現されている。シンプルであるが力強く、西塘のセンスの良さがうかがえる。その後、西塘は竹富島に戻され、没後は西塘御嶽として祀(まつ)られている。竹富島が誇る偉人である。

1933年に旧国宝に指定されたが、残念なことに石門を含め首里城全てが去る大戦で灰じんと化した。

戦後いち早くこの復元運動の声を発したのが建築家・仲座久雄である。多くの建築士や関係者の努力で56年に着工。仲座が現場監理者として働き、57年4月に石門の復元落慶式がなされ、今の姿がある。正殿、守礼の門、その他の文化財復元も同じように仲座久雄の働きが大きい。

仲座は戦後、設計業務をこなす傍ら、花ブロックを考案し活用。沖縄建築士会を創設して初代会長を務め、後進の指導育成にも励むなど、公私ともに活躍した。惜しいことに62年、58歳の若さでこの世を去った。

若夏や円光纏(まと)い王祈る



[執筆者]
やましろ・あずまお/1944年、竹富町小浜島出身。沖縄工業高校建築科卒業後、建築設計会社での勤務を経て、34歳の時に東設計工房を設立して独立。一級建築士。JIA登録建築家。(株)東設計工房代表取締役。(一社)おきなわ離島応援団代表理事。著書に「沖縄の瓦はなぜ赤いのか」がある。

毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1956号・2023年6月30日紙面から掲載

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