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2024年3月29日更新
琉球創世神話の地|浜川御嶽(南城市)|絵になる風景(16)
「風土に根差した建築」を目指して設計活動を続ける山城東雄さんが、建築家の目で切り取った風景を絵と文章でつづります。(画・文・俳句/山城東雄)
御獄よりヤハラズカサを望む 水彩「ギライカナイ」(P80号)
東の海にぽつりと浮かぶ岩「ヤハラズカサ」。琉球創世神話はアマミキヨがそこに降り立ち、地元の人々が大切にする聖地「浜川御嶽」に上がったのが起源とされる。
浜川御嶽にはじまる琉球創世神話は、神女を中心とする御嶽文化、他府県にはないニライカナイ思想、アミニズム文化に連携し、県内各地へと広がった。祈りの文化、祭り文化、芸能文化へとつながり、世界に誇る文化が醸成されていると思っている。かつて、岡本太郎が沖縄文化論の中で何もない御嶽の空間に眩暈(めまい)を感じたという。彼の鋭い感性のあらわれである。
日本の創世は天照大神が天の岩戸にお隠れになったので始まる「陰」に対して、わが沖縄は明るい東の海のかなたから来訪神アマミキヨが降り立ったといい、あくまでも古代からネアカ文化が始まっていると思っている。そのことから私は日本最南端の沖縄が、日本を明るく照らす天命を受けている気がするのである。
しかし今の沖縄の現状はどうなのか。かつて明治天皇は「万機公論に決すべし」と民衆の声に耳を傾け、あの変革の明治を乗り切った。今の政治のトップにあのような度量の広い宰相がおれば今のような辺野古の混乱は起きなかったのではないかとさえ思うのである。
私は時たま東京のセミナーに参加するが、そこに集まる中に「沖縄に基地が集中するのは仕方がない」と平気で言う輩がいて腹が立つが、なぜ仕方がないのか今こそ全国民に考えてほしいものである。
私はこの絵を描きながらさまざまのことに思いを巡らせているが。今号でこのシリーズを終わらせていただく。これまで読んでいただいた読者の皆さまに心から感謝申し上げ、また精進いたします。
潮騒に神の声聞く春の海
[執筆者]
やましろ・あずまお/1944年、竹富町小浜島出身。沖縄工業高校建築科卒業後、建築設計会社での勤務を経て、34歳の時に東設計工房を設立して独立。一級建築士。JIA登録建築家。(株)東設計工房代表取締役。(一社)おきなわ離島応援団代表理事。著書に「沖縄の瓦はなぜ赤いのか」がある。
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1995号・2024年3月29日紙面から掲載