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2023年1月27日更新

思い出のしごと 金城(かなぐすく)村屋(むらや)|金城村屋(那覇市首里金城町)|絵になる風景⑩

「風土に根差した建築」を目指して設計活動を続ける山城東雄さんが、建築家の目で切り取った風景を絵と文章でつづります。(画・文・俳句/山城東雄)

「金城村屋」(P20号)
「金城村屋」(P20号)

首里金城町、「真珠道(まだまみち)」と呼ばれる石畳道の中間に、この村屋はある。琉球王国時代、城からこの石畳道を国王はじめ多くの役人たちが識名園に下ったと想像する。

この場所には以前、コンクリート平屋の地域の公民館があったが老朽化しており、観光客の増加に伴ってトイレや休憩所の必要性も出てきた。そこで那覇市は地域の集会所も兼ねて建て直すことに。30年前、私は那覇市都市デザイン室に呼ばれ、特命で設計を引き受けることになった。私たちが木造設計にたけているとする、当時の室長の判断だった。

設計を始めるにあたり、地域への説明、公聴会を二度ほど開いたが、市の方針、純木造の伝統的工法に地域の方々はかなり難色を示された。それは戦後の木造がシロアリや台風被害を多く受けたことによる「木造不信」からで、コンクリート万能主義の思いが強いのであった。

しかし私たちが根強く景観と木造の価値を訴えたことで、最終的には理解していただき、今の姿が実現し、テレビCMなどにもよく使われるようにもなった。公共施設は大なり小なり、このように地域のコンセンサスを得ながら造るべきだと思っている。

木材は、那覇市の姉妹都市である日南市へ施工者と共に出向き、良質な飫(お)肥(び)杉やチャーギを選び、着工した。屋根瓦には地域の方々総出で赤瓦一枚一枚に名前を裏書きし、屋根を葺(ふ)きあげた。

2004年に那覇市都市景観賞を頂いた思い出の仕事である。この絵はその後、近年になって描いた。


アジマーに佇(たたず)む村屋冬日愛(う)く

(アジマーとは沖縄方言で交差点)



[執筆者]
やましろ・あずまお/1944年、竹富町小浜島出身。沖縄工業高校建築科卒業後、建築設計会社での勤務を経て、34歳の時に東設計工房を設立して独立。一級建築士。JIA登録建築家。(株)東設計工房代表取締役。(一社)おきなわ離島応援団代表理事。著書に「沖縄の瓦はなぜ赤いのか」がある。

毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1934号・2023年1月27日紙面から掲載

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