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2022年6月10日更新

[沖縄]フクハラ君 沖縄建築を学びなおしなさい[15]|琉球大学名誉教授 NPO沖縄の風景を愛(かな)さする会理事長 池田 孝之さん(76)

本連載は、沖縄建築について学ぶべく、一級建築士である普久原朝充さんが、県内で活躍してきた先輩建築士などに話を聞きリポートする。今回は琉球大学名誉教授の池田孝之さん。沖縄のまちづくりの研究を続けており、現在もさまざまな計画に参加。景観形成の視点を持ちつつ住民参加型の提案をしている。

琉球大学名誉教授 NPO沖縄の風景を愛(かな)さする会理事長 池田 孝之さん(76)

琉球大学名誉教授
NPO沖縄の風景を愛(かな)さする会理事長
池田 孝之さん(76)


いけだ・たかゆき/1946年、横浜市生まれ。74年、東京都立大学大学院工学研究科博⼠課程修了、工学博士、一級建築士。81年、琉球大学教養部助教授。87年、琉球大学工学部教授、大学院理工学研究科教授。2009年、NPO沖縄の風景を愛さする会理事長(~現在)。11年、琉球大学名誉教授(~現在)。同年、一般財団法人沖縄美ら島財団理事長(2014年退任)。その他、著書および各種委員会委員など多数。



復帰前から現代まで 沖縄のまちづくりを研究
住民参加でより良いまちに

私が琉球大学在学時に好きだったのが、都市計画やまちづくりの講義。フィールドワーク調査などが多くて楽しかったこともあり、その後の路上観察趣味にも通じたように思う。

その講義を当時担当していた池田孝之先生を訪ねた。池田先生は元々、大学で建築設計を学び、卒業して2年間は設計事務所に勤めていたという。大手不動産会社に転職してから、宅地・別荘・マンション開発などの規模の⼤きな事業も手がけた。

「まちづくりの中でのいろいろな問題が分かって、やはり都市計画をもう一度勉強したいということで大学院に入りなおしたのです。その後にもっと国際的な会社で働きたいと思っていたのですけど、研究という分野が好きになってしまって」と池田先生は笑った。

独立し、設計・都市計画事務所を立ち上げて働きつつ、博士課程に進んで研究を継続。都市計画での工学博士号取得後、大学教職先を探していた時に見つけたのが琉球大学の公募だった。

 
沖縄の細街路を現地調査

本土では都市計画の法制史を研究していたそうだ。「現在の地区計画の前身みたいな内容で、建築線制度というのが戦前にあったんです。建築線を越えないようにすることで、道路側への建物の突出などを制限する内容です。ドイツ留学で医学や公衆衛生を学んだ森鷗外(当時は森林太郎)が日本に紹介した都市計画制度の一つで、私は外国の都市計画制度とともに東京での運用実態などを研究していました。いざ沖縄に赴任したら、復帰前の沖縄でも似たような制度があったと分かったので現地調査したんです」と語る。

戦後すぐの沖縄では、応急住宅や割当土地制度などで人々の喫緊の生活を優先させたこともあって、環境の悪い住宅密集地や細街路が形成された。沖縄での建築線制度は細街路整備の目的で導入されていたらしい。沖縄に来てすぐの池田先生は、その変遷や状況、改善案などを研究されたという。


県内初の地区計画制度適用

「建築線制度からつながって地区計画制度(※)が私の専門かな。地区計画には住民参加が欠かせませんし、総合的に考えるための景観形成という視点も大事です。だから地区計画、住民参加、景観形成の三つが私にとっての大きなテーマですね」

※地区計画制度:1980年5月に公布。81年4月に施行。市区町村が策定運用主体となって、住民と提携しながら街区整備のルールをつくるまちづくり手法。将来の景観形成を話し合って、塀の仕様や塗装の配色、壁面後退線、屋根勾配などのルールが決められる。

小禄金城のまちづくりは、法改正によってできたばかりだった地区計画制度を適用した沖縄で最初の事例だ。「ただの区画整理にしたくなかったから池田先生の提案には助かりました。地主会と一緒になって、他の住民に地区計画の初適用を説得しましたよ」と、住民参加側だった金城栄一さん(2021年4月9日号で紹介)が語ってくれたことを思い出す。

池田先生は琉球大学教授を退職した現在も、那覇軍港や普天間基地跡地利用計画、首里城復興と首里杜地区まちづくり計画などに関わり提案等を続ける。

住空間のような私領域だけでなく、公領域も住民参加のまちづくりなどによって良くしていくことで、生活がより豊かになることを改めて教えていただいた。


那覇軍港跡利用構想(2021年)
那覇軍港跡利用構想(2021年)
空港・港湾に接した立地を生かし、アジアをにらんだ交易・交流の拠点を目指す。計画構想において、地主会による自主的な提起を支え、その実現を求めている。(策定委員会委員長を務める)


普天間飛行場跡利用計画中間とりまとめ(2022年)
普天間飛行場跡利用計画中間とりまとめ(2022年)※検討中の図であり、決定したものではない

沖縄県と宜野湾市の共同調査として、有識者による検討委員会で策定された。池田先生は委員会副委員長として参加した。

構想の注目点は、地下水脈や拝所などの地域資源を生かした大規模な公園・緑地化を先に決めたうえで、具体化を進めているところ。その様子は配置図の配色からも読み取ることができる。

緑色部分は公園・緑地用地。地下水脈へと通じる土壌部分を保全するため、跡地全体を網羅するような配置が検討されている。



首里杜(すいむい)構想(1986年)
首里杜(すいむい)構想(1986年)
首里城復元のもとになった36年前当初の構想。首里城とその城下町だけでなく、今も昔も変わることなく首里の歴史的発展を特徴づけた水系(水色部分)と地形からなる流域を含めて「首里杜」を構成する風土環境ととらえて検討された。流域とは、特定の河川に雨が流れていく地表の範囲のこと。(構想策定委員会委員として参加)


新首里杜構想基本計画(2022年)
新首里杜構想基本計画(2022年)
エリア別など特性を考慮した整備や保全のビジョンが提示されている

2019年の火災後の首里城正殿の復元に際して、上の「首里杜構想」を受け継ぐ形で新たに策定された。首里城を囲む首里杜地域全体のまちづくりを「新首里杜構想」として掲げ、歴史的風景・まちなみを再興する今後10年間の基本計画として推進する。(策定委員会委員長を務める)


首里杜まちづくり推進協議会(2022年)
首里杜まちづくり推進協議会(2022年)新首里杜構想基本計画の中心となる「首里杜まちづくり推進協議会」の関係主体と役割を示す図。現代のまちづくりにおいて生活当事者である地域住民の参加は欠かせない。




基地内中心の米国式整備

池田先生は、戦後沖縄の都市計画に米国民政府がどのように介入したのかという研究もしていた。米国立公文書館を訪れて資料を探すなどしたそうだ。

「かいつまんで結論を言いますと、英国と米国ではやり方が違っていて、英国では大ロンドン計画のような自国での好例を植民地などにも導入しようとします。まさにシンガポールなどは英国の例ですね。ところが米国は占領政策が下手で基地の内部だけ頑張って外部には関心が薄い」

基地内部はハウジングエリアなどきれいに整備するが、基地外部に関しては幹線道路・軍港整備程度だった。米国の専門技術者・民間コンサルによって都市計画プラン案はあったそうだが、いくつかのロータリーやバイパスの整備の他はほとんど実施されることはなかったという。幹線道路も、速達性から盛土して周囲より高く造るので、大雨時に周辺が冠水したりする。現在の国道でもその面影が思い当たる場所がいくつかあったので、私は深く納得したのだった。



[文・写真] 普久原朝充
ふくはら・ときみつ/1979年、那覇市生まれ。琉球大学環境建設工学科卒。アトリエNOA勤務の一級建築士。『沖縄島建築 建物と暮らしの記憶と記録』(トゥーバージンズ)を建築監修。

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毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1901号・2022年6月10日紙面から掲載

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