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2023年2月10日更新

フクハラ君 沖縄建築を学びなおしなさい[18]|自習編・CB普及直前の沖縄建築

一級建築士である普久原朝充さんが先輩建築士に話を聞き、沖縄建築を学びなおす本連載。最終回となる今回は自習編で、コンクリートブロック(CB)が普及する直前の沖縄建築についてまとめた。

CB普及直前の沖縄建築

戦後、米軍が沖縄に持ち込んだコンクリートブロック(CB)。当初は基地内の建物だけに使われ、1950年頃から民間でも生産されるようになったが、値段が高くてすぐには普及しなかった。戦後の資材不足で台風被害も多かったこの時期に、コンクリートブロック以外でつくられた沖縄建築について調べてみた。


戦後の建材不足や台風に石やレンガで対応
地域の素材で試行錯誤

昨年は、1947年から52年頃の沖縄建築について考えることが多かった。戦後復興の途上で「規格家」と呼ばれる木造応急住宅がたくさん作られながらも、資材不足と大型台風の襲来などで生活基盤もままならなかった時代だ。とりわけコンクリートブロック(以下CB)が普及途上にあったものだから、他の素材によるさまざまな工夫が見られた時代でもある。

那覇市首里儀保町のニシムイ美術村跡に残る山元恵一アトリエは、そんなCB以前を象徴した建築だろう。『別冊太陽 琉球・沖縄を知る図鑑――時代を超え、未来を育む』(平凡社)の執筆に関わった経緯で、取材として内覧させていただいた。ニシムイ美術村は、名渡山愛順さん、山元恵一さんら沖縄の美術家たちによって戦後につくられた集落だ。ニシムイでの創作活動や生活の様子は、原田マハ著『太陽の棘』(文春文庫)など、小説や演劇のモチーフにもなっている。

山元恵一アトリエは、仲座久雄さん(本連載第4回で紹介)の設計によって48年に建てられた。ニシムイの小高い丘は台風時の風当たりが強かったこともあり、対策として琉球石灰岩の石積みの構造が採用された。経年劣化による雨漏り等で一時期は存続が危ぶまれたものの、山元さんご家族の熱意により2013年に改修された。改修設計に関わった真喜志好一さん(本連載第6回で紹介)は「屋根部分の補修のためにかさ上げしたので少しプロポーションは変わってしまっているが、なるべく当時の石積みを残すようにした」という。

 
工場生産で省力化

仲座久雄さんはさまざまな挑戦をしている。顕著なのは校舎建築だ。1950年末から52年3月まで沖縄群島政府工務部建築課長を務めた仲座さんは、石積みだけでなく、粟石やレンガ造の校舎標準プランも作っている。小屋組みの棟束(棟を支える部分)はプレキャストコンクリート(工場であらかじめ加工されたコンクリート製部材)になっていて、物資および人材不足の状況下での施工の省力化などの工夫の意図が感じられ、現在から見ても斬新な内容だ。このような工夫の数々が、その後の花ブロックの考案に結びついたと思われる。

残念ながら仲座さんの設計した校舎建築やレンガ造建築は残っていないのだが、47年ごろに作られたとみられるレンガ造建築が現在の沖縄ホテル敷地内にある。当初はレンガ製造も手がけている建設会社の事務所兼社長邸宅として作られたが、51年に沖縄ホテル支配人で沖縄観光の父と知られる宮里定三さんが改修し、ホテルとして使われた貴重な建物だ。

このようにCBが普及する以前は、物資不足のなか、木造だけではなく石積みや粟石、レンガなど、地元で入手可能な素材も工夫して活用することで生活基盤を形成していたことが分かるし、台風被害に対する切実さも感じられる。戦後の痕跡を伝えるような建築の多くが耐用年数を過ぎるなどのやむを得ない理由で解体されつつあるが、その歴史的価値をしっかりと記憶にとどめたいと思った。=おわり



石積み建築
山元恵一アトリエ(1948年、那覇市) ニシムイ美術村跡に建つアトリエ。仲座久雄さんの設計により1948年完成。2013年の改修は真喜志好一さんが担当し、石積みなどの部分を残しつつ修復されている。山本恵一さんは2度ほど台風で住宅を飛ばされたことから、仲座久雄さんが石積みによる建築を提案したという。(撮影:岡本尚文)
山元恵一アトリエ(1948年、那覇市)
ニシムイ美術村跡に建つアトリエ。仲座久雄さんの設計により1948年完成。2013年の改修は真喜志好一さんが担当し、石積みなどの部分を残しつつ修復されている。山本恵一さんは2度ほど台風で住宅を飛ばされたことから、仲座久雄さんが石積みによる建築を提案したという。(撮影:岡本尚文)
 
山元恵一さんの描いた作品と、山元さんが座っていたという椅子。壁面の仕上げにベニヤ板が張られていたが、改修工事で撤去して石積みをあらわしにすることで建築当初の姿になっている(撮影:岡本尚文)
山元恵一さんの描いた作品と、山元さんが座っていたという椅子。壁面の仕上げにベニヤ板が張られていたが、改修工事で撤去して石積みをあらわしにすることで建築当初の姿になっている(撮影:岡本尚文)

ニシムイ美術村跡に設けられたポケットパーク。名渡山愛順さんや山元恵一さんなどの何人かは、戦前の東京にあった美術村である池袋モンパルナスでの活動経験もあったことから、戦後の沖縄における美術村構想につながったといわれている。残念ながら環状二号線の切り通しにより集落が分断されてしまった
ニシムイ美術村跡に設けられたポケットパーク。名渡山愛順さんや山元恵一さんなどの何人かは、戦前の東京にあった美術村である池袋モンパルナスでの活動経験もあったことから、戦後の沖縄における美術村構想につながったといわれている。残念ながら環状二号線の切り通しにより集落が分断されてしまった
 
原田マハ著『太陽の棘』(文春文庫)。1948年~50年に在沖米軍基地に勤務し、ニシムイ美術村と交流があったスタンレー・スタインバーグ氏などがモデルになった小説。ニシムイ美術村を舞台にした米軍精神科医と沖縄の画家たちの交流が描かれる
原田マハ著『太陽の棘』(文春文庫)。1948年~50年に在沖米軍基地に勤務し、ニシムイ美術村と交流があったスタンレー・スタインバーグ氏などがモデルになった小説。ニシムイ美術村を舞台にした米軍精神科医と沖縄の画家たちの交流が描かれる



校舎建築
標準型校舎(1951年型)。いずれも沖縄群島政府工務部建築課が設計。上写真はレンガ造平屋建て本瓦ぶき、下は粟石積み平屋建て本瓦ぶき。※沖縄県建築士会編『沖縄建築士第3号』(1959)より標準型校舎(1951年型)。いずれも沖縄群島政府工務部建築課が設計。上写真はレンガ造平屋建て本瓦ぶき、下は粟石積み平屋建て本瓦ぶき。※沖縄県建築士会編『沖縄建築士第3号』(1959)より
標準型校舎(1951年型)。いずれも沖縄群島政府工務部建築課が設計。上写真はレンガ造平屋建て本瓦ぶき、下は粟石積み平屋建て本瓦ぶき。※沖縄県建築士会編『沖縄建築士第3号』(1959)より
 
戦後の標準型校舎の図面

水色部分はプレキャストコンクリート製のラチス梁


ピンク色部分はレンガ

レンガ造あるいは石造の仕切り壁の間に、工場で作られたプレキャストコンクリートの梁(はり、水色部分)を架け、この梁を利用して小屋組みを組んでいる。現場の工期短縮化の工夫が見られ、工場加工したコンクリート部材の活用事例としては沖縄でも古い事例※沖縄県建築士会編『沖縄建築士――復帰記念特集号』(1972)掲載図版を着色加工



レンガ造建築
沖縄ホテル(1947年ごろ、那覇市) 設計者不明。金城カンパニー代表金城田助さんの邸宅兼事務所として建設されたが、1951年、沖縄ホテルとして改装された。当初から暖炉や煙突が設けられ、水洗トイレやボイラー等の近代設備も設置されていたという。(撮影:岡本尚文)
沖縄ホテル(1947年ごろ、那覇市)
設計者不明。金城カンパニー代表金城田助さんの邸宅兼事務所として建設されたが、1951年、沖縄ホテルとして改装された。当初から暖炉や煙突が設けられ、水洗トイレやボイラー等の近代設備も設置されていたという。(撮影:岡本尚文)



復帰前の沖縄のブロック
コンクリートブロックは、1948年に米国より製造機が沖縄に持ち込まれて基地建設等で活用され、50年ごろに地元民間企業でも製造されるようになってから徐々に普及していった。

ちょうど昨年、この初期のCBに出合うことができた。縁あって1950年に建てられた沖縄最古の木造映画館である首里劇場の調査に関わったところ、増築部に使われているCBが現在の日本産業規格(JIS)の寸法ではないことに気づいたのだ。現在のメートル法ではなくヤード・ポンド法による寸法、いわゆる8インチブロックと呼ばれるブロックだということが分かった。

日本産業規格(JIS)のメートル法のブロックサイズ(上イラスト)と米国製のヤード・ポンド法のブロックサイズ(JS型・1963年以前、下) ※1インチ≒25.4㎜
日本産業規格(JIS)のメートル法のブロックサイズ(上イラスト)と米国製のヤード・ポンド法のブロックサイズ(JS型・1963年以前、下) ※1インチ≒25.4㎜
日本産業規格(JIS)のメートル法のブロックサイズ(上イラスト)と米国製のヤード・ポンド法のブロックサイズ(JS型・1963年以前、下) ※1インチ≒25.4㎜

首里劇場で使われているコンクリートブロックの横寸法。日本産業規格は390ミリで許容誤差寸法が2ミリだが、ここでは16インチ(約406ミリ)であることが分かる首里劇場で使われているコンクリートブロックの横寸法。日本産業規格は390ミリで許容誤差寸法が2ミリだが、ここでは16インチ(約406ミリ)であることが分かる
首里劇場で使われているコンクリートブロックの横寸法。日本産業規格は390ミリで許容誤差寸法が2ミリだが、ここでは16インチ(約406ミリ)であることが分かる



[文・写真] 普久原朝充
ふくはら・ときみつ/1979年、那覇市生まれ。琉球大学環境建設工学科卒。アトリエNOA勤務の一級建築士。『沖縄島建築 建物と暮らしの記憶と記録』(トゥーバージンズ)を建築監修。

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毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1936号・2023年2月10日紙面から掲載

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