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2022年12月23日更新
ウフティラ 円覚寺山門|円覚寺山門(那覇市)|絵になる風景⑨
「風土に根差した建築」を目指して設計活動を続ける山城東雄さんが、建築家の目で切り取った風景を絵と文章でつづります。(画・文・俳句/山城東雄)
「うふてぃらの光」(P25号)
首里城下、「ウフティラ」と呼ばれた円覚寺は、第二尚氏の菩提(ぼだい)寺として1492年、尚真王が父・尚円王の追福のために建立した。京都南禅寺の僧・芥隠(かくいん)禅師(ぜんし)により、初めて琉球に臨済宗をもたらしたのがこの円覚寺である。鎌倉の円覚寺にならって禅宗七堂伽藍(しちどうがらん)(寺の主要な七つの建物)を備え、戦前には総門、山門、仏殿等9件が国宝に指定されていた。当時の写真を見ると決して鎌倉に劣らない荘厳な美しさがあったが、残念なことに沖縄戦で放生橋だけ残り、他は全て消失。現在は総門だけが復元されている。
この山門は、鎌倉芳太郎氏が戦前に撮影したモノクロ写真から私が想起し水彩で描いた。円覚寺は首里城を支える歴史の裏舞台として、冊封使の歓待に使われたほか、毎年旧暦の12月20日には王国の安寧と国王の健康長寿を願い若水を奉納する儀式「美御水(ヌービー)」の奉納祭が行われ、辺戸から取水しノロが祈願した水をこの円覚寺で保管し、元日未明、王府に献上された。現在は総門前で当時の儀式が再現されている。
若干13歳で即位した尚真王は、この円覚寺建立をはじめ、さまざまな施策や、朝貢貿易で富をもたらし、黄金期を築いた。また、中央集権化を図るなど、その偉業は第二尚氏王統の盤石な基盤を築き上げた。その後第二尚氏は19代410年も続いたといわれる。まさに沖縄版徳川家康のような存在である。
私は、前回の首里城復元でできなかったこの円覚寺を、今回はぜひ復元してほしいと願いこの絵を描いた。円覚寺までできて初めて首里(すい)杜(むい)が完結するものと期待している。
国王も仰ぎし門や冬日差す
[執筆者]
やましろ・あずまお/1944年、竹富町小浜島出身。沖縄工業高校建築科卒業後、建築設計会社での勤務を経て、34歳の時に東設計工房を設立して独立。一級建築士。JIA登録建築家。(株)東設計工房代表取締役。(一社)おきなわ離島応援団代表理事。著書に「沖縄の瓦はなぜ赤いのか」がある。
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1929号・2022年12月22日紙面から掲載