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2022年3月11日更新
[沖縄・建築探訪PartⅡ㉑]プラザハウスショッピングセンター (沖縄市)
次世代に残したい沖縄の建造物の歴史的価値や魅力について、建築士の福村俊治さんがつづります。文・写真/福村俊治
沖縄生まれ日本初ショッピングセンター
プラザハウスショッピングセンター(沖縄市)沖縄市の南の玄関口にあたる場所に国道330号ライカム交差点がある。このライカムというのは、かつてここに沖縄戦で本島中部に上陸した米軍の琉球司令部(RYUKYU COMMAND、略してRYCOM)があったことに由来する。そして、この交差点近くには最近まで米軍の広々としたゴルフ場とハウジングがあって、アメリカの街を感じさせるところだった。
このライカム交差点の北、沖縄警察署の道向かいにプラザハウス・ショッピングセンターがある。68年前、戦後復興期の1954年のアメリカ独立記念日にオープンした、外国製品を扱う「日本初のショッピングセンター」だ。当初は在沖米軍やその家族しか利用できなかったが、その後、地元の人も利用できるようになった。
広い駐車場があるアメリカンスタイルのモールで、沖縄の強烈な日差しを避ける柱廊にギフトショップやレコード店、アメリカ製の家電店舗や航空会社のオフィス、そして高級ファッションのロージャースなどがあった。歩いて近くのマチヤグヮーや商店街で買い物をする時代に、車に乗ってショッピングすることは、ウチナンチューの憧れと夢の場だった。今やそのマチヤグヮーも商店街もなくなり、郊外に大型ショッピングセンターの出店が続いている。しかしそれらのショッピングセンターはどこも同じような店舗と商品が並び、規模の大小はあっても全館空調され明るく広い建物内部はどこもよく似ている。
このプラザハウスは、建物規模はさほど大きくないが、どの店舗や商品も個性的で興味深いものが多い。欧米やアジアのものでありながら沖縄の気候風土に合う商品や地元沖縄の珍しい商品などがセレクトされていて、ものがあふれている時代にあって示唆に富む。
1960年頃のライカム周辺。1948年に米陸軍の泡瀬メドースゴルフ場(8コース)として開業。53年拡張のため周辺農地強制接収。2010年返還。15年、跡地にイオンモール沖縄ライカム完成。
プラザハウス・ショッピングセンター、夜の全景。1954年7月4日にプラザハウスとロージャースがオープンし、現在のプラザハウス・ショッピングセンターの原形が誕生。1997年45周年記念事業として施設増設、組織統合。(写真=プラザハウス提供)
沖縄の自然感じるモール
興味深いのは各店舗を結ぶモールだ。吹き抜けがあり広々しているが多様な空間がある。屋根は可動式で日差しが差し込み、出入り口や開口から心地よい風が通り抜け、いたるところに観葉植物とテーブルベンチが置かれ居心地が良い。亜熱帯の沖縄の自然の心地よさを感じながらショッピングを楽しむ、センスの良い建築空間となっている。そのため沖縄の豊かな自然を体感できるオープンモールとして評価され、1999年通産省後援システムコンペティション入賞や2016年経済産業省の「全国はばたく商店街30選」に選ばれた。3階にはライカム・アンソロポロジーという復帰前の沖縄の琉米文化の写真を展示するギャラリーもある。
過去・未来、沖縄・外国、そして衣・食・住・遊の新しい沖縄の生活を求める人々に役立つショッピングセンターだ。
可動屋根の下には広く開放的なモールがあり、吹き抜けをはじめ、広さ、天井高さ、明暗がさまざまなスペースがある。観葉植物やテーブル椅子もあってくつろぎの場となっている。
駐車場に面した平屋店舗の柱廊部分。店舗が雁行(がんこう)して配置され店舗内がよく見え、人のたまり場がある。実はこの柱廊は緩いスロープである。
この店舗には沖縄の文化を表す珍しい商品が並ぶ。知らなかった沖縄の発見の場である。
食料品の店舗。外国のものなど珍しい食品が並ぶ。どの店舗も照明、色彩など凝っている。
ふくむら・しゅんじ 1953年滋賀県生まれ。関西大学建築学科大学院修了後、原広司+アトリエファイ建築研究所に勤務。1990年空間計画VOYAGER、1997年teamDREAM設立。沖縄県平和祈念資料館、沖縄県総合福祉センター、那覇市役所銘苅庁舎のほか、個人住宅などを手掛ける
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1888号・2022年3月11日紙面から掲載