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2021年1月22日更新
歴史的建造物としての首里城を知る|私たちの首里城[10]
数軒隣からは首里という立地で育ったため、休みの日には中城御殿跡地に建っていた博物館に行き、夏休みの絵画には守礼門や円鑑池(えんかんち)と弁財天堂を描くのが定番だった。そしていつしか、威風堂々とした首里城の石垣に魅了されていた。
文・写真 安富祖理絵さん(合同会社アン一級建築士事務所代表社員)
歴史的建造物としての首里城を知る|私たちの首里城[10]
合同会社アン一級建築士事務所代表社員 安富祖理絵さん
戦争後の首里教会周辺(沖縄県公文書館所蔵)
首里教会の鐘楼塔から首里城を見る
数軒隣からは首里という立地で育ったため、休みの日には中城御殿跡地に建っていた博物館に行き、夏休みの絵画には守礼門や円鑑池(えんかんち)と弁財天堂を描くのが定番だった。そしていつしか、威風堂々とした首里城の石垣に魅了されていた。
首里に対して来訪者の立場だった私の意識が変わったのは、「日本基督教団首里教会旧会堂復元工事」に従事した時である。沖縄戦で焼け野原になった首里の写真を初めて見た時は、自然と涙があふれた。首里城に司令部が設置されたことで、執拗(しつよう)な砲撃を受けたことに憤りを感じた。復元した首里教会の鐘楼塔の窓から首里城をみた時は、まるでここが貴賓室であるかのような高揚感を得たが、残念なことに一昨年の火事で景色から失われてしまった。
当時をおもわせる再現を
平成30年から(公社)沖縄県建築士会が主催するヘリテージマネージャー育成講座がスタートし、その1期生として参加した。そこで瓦や漆、沖縄の木造建築、石造など沖縄独自の伝統技術について学んだ。一度途絶えてしまった技術を、首里城を復元するために、多方面で数多くの方々が試行錯誤を繰り返したことを知った。首里城は沖縄の伝統技術の集大成である。建物自体が琉球漆器といっても過言ではないほど、ふんだんに使われている漆の技法や、瓦の技術、独自の石文化。これらの技術の結晶が首里城だった。
その焼失にあたり建築士としてできることは何かと自問した。「歴史的建造物の価値を知り、残していくこと」。建築は思いを具現化することができる。そのためには、当時を思い起こさせるように、主要部の材料や質感、ディティールを再現しなくてはならないのではないか。沖縄県民の誇りとなる首里城をもっと知りたい。そして、首里城から広がる街を沖縄の伝統技術を使って豊かにしていければとの思いが強くなった。
新たに首里城を再建するにあたり、ぜひ復元段階の作業を公開してもらいたい。多くの人が伝統的技法を知り、その技術を学ぶことができる。伝統技術を現代建築と融合させるのは私たち建築士の役割だが、首里城に施されている技法はさまざまな分野に裾野を広げていけるだろう。それゆえ「温故知新」の学びの場としての首里城再建を願う。
あふそ・りえ/合同会社アン一級建築士事務所 代表社員、日本基督教団首里教会旧会堂復元工事に従事。(公社)沖縄県建築士会 理事、(公社)日本建築家協会沖縄支部 国際交流委員長、沖縄県景観形成審議会委員、ヘリテージマネージャーなど。
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1829号・2021年1月22日紙面から掲載