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2020年4月24日更新

首里城台地に注ぐ「雨水」の利用を|私たちの首里城[1]

首里に生まれ育った昭和1桁生まれの小生に、思いつくまま首里城を語れという注文である
文・イラスト 吉田朝啓さん(医学博士、首里まちづくり研究会顧問)

昨年10月末に首里城が燃えて大変なショックを受けたが、県民は立ち上がって再建に取り組み始めている。それぞれの専門家による本物志向の努力が続けられており、瓦や漆塗りなどの職人も意気込んでおられる。ウマンチュからの寄付も盛んだ。国も県も城内建造物の復元については積極的である。この分だと、10年待たずに豪華な社が台地に出現することだろう。だが、我々年老いたスインチュ(首里人)からすると、首里城にまつわる血肉部分にいささかも触れることなく、国策が「問答無用」と通り過ぎていくのではないかと気をもむばかりである。憂いや提案は胸中に無数にあるが、まず気になることは、首里城台地での水の扱いである。

御用水 人力で運び
初代琉球国王と位置づけられる舜天から西威、察度、尚巴志の代をへて、ようやく探り当てた風水(フンシー)の適地・首里。
首里城の東方約1キロメートルにある「弁が岳」から発する5本の川に囲まれながら、首里城の建つ頂上には水源の一つない珊瑚礁石灰岩地帯。かつて水のないこの岩山に城を築き、ペリー艦隊や薩摩の役人、中国からの使者である冊封使たちを受け入れてもてなした第二尚氏のころ、膨大な水の需要をどうしたのか、この際、振り返って考えてみたい。
面白いことに、琉球の島々の丘は頂上が瘡蓋のように、珊瑚礁石灰岩に覆われているところが多い。首里城台地がその典型である。台地に降った雨水は石灰岩を通過し、その下のクチャの層に受け止められる。その水が東に流れて泡盛を育て、南の豆腐、西の染織、北の和紙を育み、さらに城下町の井戸を支えた。
文献によると、その水が城内で唯一こんこんと湧き出た龍樋と、近くの寒水川樋川から毎日2石(約360リットル)ずつ繰り返し、王宮内に多くの男たちが運んだという。その労苦。そのような貴重な水を城内のどこにためてどう使い、どう排水して城内の聖域を維持したのか。「生身の首里城」を学んでこそ、島人の叡智と王城の素晴らしさが理解できると小生は考えるのだが、うがち過ぎだろうか。今、「二度と火事を起こさないように」と消火のための近代的な装置として防火水槽の増設なども重点的に議論されていて、二度と首里城が燃え落ちることなく、琉球文化の華がまた咲きそろうであろうとホッとする。
だが、やんばるのダムから潤沢な水の供給を受けて、さらに広大な城郭全域に年間およそ2千ミリリットルの雨量を受けていながら、台地で丁寧に再利用することもなく、城下町首里の東西南北に息づいている水脈を支えることもなく、一刻も早くと言わんばかりに無造作に海に捨てて、「一城功成り万水枯れる」ような現在の首里城でいいのか。問いたい。


隆起珊瑚礁石灰岩はスポンジのように雨水を通すが、その下に横たわる粘板岩(クチャ)の層は「不透水層」と呼ばれ、水を受け止める。その水は横に流れて地表に出て湧水となり、人々の暮らしを支えた。流れる途中で池となり川となり、「時差出勤」しながら海へと注ぐ


よしだ・ちょうけい/1931年生まれ。那覇保健所や琉球衛生研究所、中央保健所などに勤め、県内の公衆衛生に寄与。現在は首里高校OBで構成する「養秀園芸サークル」の会長をするなど、地元首里の緑化に努める。


毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1790号・2020年4月24日紙面から掲載

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