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2021年2月26日更新
使命感で再建に密着 記録として映像残す|私たちの首里城[11]
琉球放送の報道カメラマンとして約30年、さまざまなニュースや番組を撮影しました。その中で最も印象深い仕事が、1992年に放送された「映像ドキュメント首里城」。基壇(きだん)の遺構発見から、竣工するまで、首里城の再建をずっと追いかけたドキュメント番組です。
文・写真 元・琉球放送報道カメラマン 新里勝彦さん
使命感で再建に密着記録として映像残す
元・琉球放送 報道カメラマン
新里勝彦さん
琉球放送の報道カメラマンとして約30年、さまざまなニュースや番組を撮影しました。その中で最も印象深い仕事が、1992年に放送された「映像ドキュメント首里城」。基壇(きだん)の遺構発見から、竣工するまで、首里城の再建をずっと追いかけたドキュメント番組です。
私がカメラマンになったのは本土復帰の頃。「世変わりを見たい」「ドキュメントを撮りたい」という理由からでした。
ある日、首里城の基壇が出てきたという知らせが来ました。歴史好きということで、私が行くことに。その後も、歴史に関係があるものについては積極的に手を挙げていました。
しばらくして、首里城の復元計画が決定。私は「再建の様子を記録として残さなければいけない」と、使命感のようなものを感じました。県民の財産になるはずだと思ったのです。
しかし、報道カメラマンの場合、一つの対象をずっと追い続けることはほとんどありません。そこで、毎週、さまざまな視点から首里城に関することを伝える番組「首里城大百科」を企画。これにより首里城の取材を続けることができ、工事関係者以外では誰よりも、再建中の首里城に通い詰めました。
ドキュメントのタイトルカット(画像は全て1992年、琉球放送「映像ドキュメント首里城」より)
新里さんが撮影した「映像ドキュメント首里城」のワンシーン。画像は瓦ぶきの様子
未公開テープも残存
職人たちの邪魔をせず誠実に向き合うことを心がけながら、工場での部材作りから、組み立てるところまで一つ一つの工程を撮影。間近で見ていると、職人一人一人が誇りを持って仕事しているのがよく分かりました。
完成した首里城を見たときはあまりにも色が鮮やかでびっくり。それと同時に、いろいろな人の首里城に対する思いや苦労を最後まで撮ってきた自分も、なんだか誇らしく思えました。
そして作ったのが「ドキュメント首里城」です。復元の経過とともに、首里城の歴史や文化も交えて映像をまとめました。
だから焼失したときは、ただただ呆然とするばかり。言葉がありませんでした。
しかし、その直後、うれしい出来事も。私が首里城を撮影したテープの原本が残っていたのです。私が退職した後も、後輩たちが守ってくれたのでしょう。原本には未公開の映像もあるので、ありがたかったですね。
現在、進んでいる再建計画の中で、私が撮った映像が資料として役に立てば幸いです。
職人・奥原崇典氏のインタビュー。新里さんは「何度も試行錯誤する様子から『首里城にふさわしい瓦を作るんだ』という気概を感じられた」(画像は全て1992年、琉球放送「映像ドキュメント首里城」より)
木曳式(こびきしき)の様子。「山から木を切り出す様子を再現した国頭サバクイを見たとき、生活と歌と踊りが一体だったことを実感した」と新里さん
しんざと・かつひこ/1941年、与那原町出身。県外の大学を卒業し、70年に沖縄に戻る。72年、琉球放送に入社、報道カメラマンに。2000年に定年退職した後も、ドキュメント番組・映画の製作に携わってきた。
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1834号・2021年2月26日紙面から掲載