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2025年7月4日更新
【創刊40周年特集①】「共に家を造る」意識へ|建築研究室DAP所長・真喜志好一さん(81)
1985年、週刊タイムス住宅新聞の創刊にあたり、関係各所に相談した。建築研究室DAPの真喜志好一さんもその一人だ。「住宅は『買う』という意識が強かったが、家造りや建築情報を紹介することで、建築士・施工者らと『共に造る』というきっかけになったと思う」と話す。
建築研究室DAP所長・真喜志好一さん(81)
まきし・よしかず/1943年生まれ、那覇市出身。68年神戸大学大学院を修了後、同大学建築学科助手を務める。72年11月沖縄開発庁沖縄総合事務局営繕課に勤務、76年(有)建築研究室DAPを主宰。81年に日本建築士連合会作品展優秀賞受賞、91年に日本建築学会作品賞を受賞。主な設計作品は「沖縄大学校舎」「沖縄キリスト短期大学校舎」「南城市文化センター・シュガーホール」など。
「共に家を造る」意識へ
1985年、週刊タイムス住宅新聞の創刊にあたり、関係各所に相談した。建築研究室DAPの真喜志好一さんもその一人だ。「住宅は『買う』という意識が強かったが、家造りや建築情報を紹介することで、建築士・施工者らと『共に造る』というきっかけになったと思う」と話す。
紙 面展開の相談を受けた真喜志好一さん(81)は「不動産の広告情報だけを掲載するのではなく、建築の専門家の視点を取り入れた紙面づくりをしてはどうか」と助言したという。この言葉の裏側には創刊年に先立つ、県内の動きが関係している。
本土復帰(72年)や沖縄国際海洋博覧会(75年)などを契機に、70年代は土地の売買やまちの開発が活発化。真喜志さんは「当時、一戸建てと言えば、建売住宅が主流。そのため、自分たちが思い描いた住まい像から『家を造る』というより、造りが規格化された『家を買う』という感覚が一般的だったように思う」と振り返る。
このような時勢に対して、「住宅は設計することから始まるんですよと発言すると、『仕事が欲しいから、設計屋が自分たちの必要性を説いている』『不要な費用がかかるだけ』と揶揄されることもあった」。
しかし、助言の真意は創刊号のインタビュー記事「住まいを語る」=上写真=から読み取れる。記事の中で真喜志さんは「沖縄の住まいほど短期間に急激に変わったところは例がありません。…(略)…その人にとってふさわしい住まいの形をつくり出すのが、我々建築家の仕事だと思います」と話している。
予算や働き方、家族構成、敷地の形、周辺環境など条件は施主の数だけ違う。建築士・施工者とタッグを組むことで、「世界でただ一つの住まいが造れる。その過程を住宅新聞で紹介したことで『住宅は造るもの』という意識になったと思う」。
仕切り増えた室内
沖縄の住まいが急激に変化したきっかけは終戦後、米軍基地や外人住宅などの建設に伴い、技術と建築材料の導入があったからだ。
輸入された木材で造られた応急的な仮設住宅「規格屋(きかくやー)」に代わって、コンクリート造の建物が一気に普及。「住まいの工法が変わり、室内は間仕切り壁で部屋ごとに細かく仕切られるようになった」。戦前住宅のように、取り外し可能なふすまや障子などで空間を柔軟に仕切ることがなくなり、「広間が消えた。冠婚の行事ごとの際に親族や地域の人を大勢招く習慣も徐々に無くなっていった」と真喜志さん。間取りが変わったことで、生活と祝いの場を担っていた家の役割が、家族が住むことに特化した造りに変わっていったという。
周辺との共生探る
「建築を造ることは人を幸せにする空間を形にすること」と真喜志さん。設計する際は「一貫して外の空間を計画してから、建物の形を考えていた」と話す。建物は敷地と切り離せないため、周辺環境とどう共生していけるのか、そのつながりを模索し続けた。
中高層の建物が建ち並ぶ那覇市内。都市部の建物は最大の床面積を確保しようと、敷地いっぱいに建つ
その上で、「施主の本意を汲み取る力と引き出す力が必要。それを怠ってしまうと、たとえ設計力があっても、人を不幸にしてしまう建築を造ってしまう。設計者は決して自分本位にならず、施主(依頼者)と自然という外に向き合ってほしい」と言葉を紡いだ。
創刊号は1985年7月5日号
創刊当時は輪転機の性能から、8ページの1集、2集を発行。表紙は「お住まい拝見」を掲載
「県内の風景写真」が飾っていた。1集、2集の中面では庭づくりやDIYの仕方、研究者や専門家による沖縄の解説記事などを掲載していた
1985年8月9日号の表紙は真喜志さんが設計した住宅。当時、取材した記者・村吉則雄さん(75)は「この物件も家族の顔が見える温かい住まいだったと記憶している。真喜志さんが手がけた住宅は優しい印象がある」と話した
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毎週金曜日発行・『週刊タイムス住宅新聞』創刊40周年企画
第2061号 2025年7月4日掲載