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2022年8月26日更新
[沖縄]海への思いを作品で表現|眞榮喜 南さん(jiyukimama(じゆうきまま)代表)|家々人々[125]
廃プラスチック、海洋を漂うプラスチックごみでアクセサリーや小物を製作販売している眞榮喜南さん(38)。教職を辞め、ブランドを創設した背景には、幼少期からの自然体験や「自分らしさ」への思いがありました。
海への思いを作品で表現
眞榮喜 南さん(jiyukimama(じゆうきまま)代表)まえき・みなみ 1984年沖縄市生まれ。父の転勤により生後2カ月で東京移住。小学5年生のとき帰沖。中・高校では新体操部に所属。東京女子体育大学に進学し、卒業後は臨時教諭、アパレル業、リラクセーションマッサージなどの仕事を経て、小学校教員に。2021年退職し、jiyukimamaを立ち上げる。
■幼少期の暮らしの思い出は?
生後すぐ沖縄から東京へ移住。東京といっても東村山市はのどかで、遊び場は自然。クワやグミの実、どんぐり拾いをして学校に遅刻し、しかられたこともあります。公園で花を詰んで蜂に刺されたのも懐かしい思い出です。
家の中では、トイレットペーパーの芯などでおもちゃを自作したり、ものづくりも好きでした。そんな原体験も今につながっていると思います。
子どものころの住まい
東京都東村山市のアパートに両親、弟、妹の5人で住んでいた。豊かな自然で遊んだり、食材にとタケノコやノビルを採って帰ることもあった。帰沖後の沖縄市でもう一人弟が生まれた。
■帰郷後に感じたことは?
小学校5年生のとき沖縄に戻ったのですが、米軍基地が近くにあって、その影響を受けた音楽やアートなどのカルチャーに刺激を受けました。モダンバレエをやっていて踊るのが好きだったのですが、「表現する」ことへの憧れがより強くなったと思います。
■教師を辞め起業した理由は?
中学からは新体操部に入り、体育大学に進学。その後、教職に就きました。
しかし順風満帆とは言えず、思い悩んだ時期も長くありました。葛藤の中で、「自分らしくいること」を自分にも、子どもたちに対しても大切にしたいと思ったんです。
行動できたのは、「南は南のままでいいよ」と寄り添い、支えてくれた人たちとの出会い。生きる意味を見失うほど教職という肩書にとらわれていたのですが、自分を解放できたことで、心に余裕ができました。自分の機嫌は自分で取ることが大事。心が豊かであれば幸せなんだと実感しています。
教職でなくとも、廃プラスチックからアクセサリーを作るワークショップで子どもたちに関われています。楽しみながら環境課題について知り、気付きから暮らしを見直したり、学ぶことができる。子どもたちに「生きるのは楽しい」「人生って楽しい」と伝えられる存在でありたいと思っています。
■今後の目標は?
ものづくりなどを通して、沖縄の素晴らしさを発信しながら、沖縄ファンをもっと増やしたい。
また、大好きなサーフィンのメッカであるオーストラリアと沖縄を行き来しながら、環境保全に寄与したいです。フェアトレードや就労支援につながる仕事も作りたい。無理せず楽しみながら、やっていきたいです。
◇ ◇ ◇
「美しい海を未来に残し、地球や地域に貢献していきたい」と夢を語る眞榮喜さん。輝くような目が印象的でした。
ホッと空間
アトリエは“自遊”空間
「アトリエでの作業が自由で充実していて好き」と眞榮喜さん。創作はブランドを一緒に立ち上げた當山彩さん(写真左)と行う。「彼女は豊かな発想力があり、私の一番の理解者」とほほ笑む。
プライベートはこんな顔
作品はペットボトルのふたや海洋ごみなど、廃プラスチックを加工して作っており、売り上げの一部を海洋環境保全団体へ寄付しています。
取材/赤嶺初美(ライター)
毎週金曜日発行 週刊タイムス住宅新聞
第1912号・2022年8月26日紙面から掲載