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2022年12月9日更新

[沖縄]フクハラ君 沖縄建築を学びなおしなさい[17]|株式会社現代設計 代表取締役 仲元典允さん(72)

沖縄建築について学ぶべく、一級建築士である普久原朝充さんが、県内で活躍してきた先輩建築士らに話を聞きリポートする。今回は㈱現代設計代表取締役の仲元典允さん。歴史ある事務所で多くの先輩から学び、沖縄県知事公舎や米国総領事館など、規模が大きく社会的にも影響のある事業に調整役として携わってきた。

株式会社現代設計 代表取締役 仲元典允 さん(72)
株式会社現代設計 代表取締役
仲元典允 さん(72)


なかもと・のりみつ/1950年、伊是名島生まれ。68年、沖縄工業高校建築科を卒業し、アダン設計事務所に入所。70年から東京の設計事務所で勤務した後、80年に現代建築設計事務所へ。98年、有限会社現代設計に商号変更、代表取締役に。2009年、株式会社化。11~14年、(一社)県建築士事務所協会会長。1989年に浦添市立前田小学校が日事連建築賞会長賞および沖縄県知事賞を受賞。ほか、受賞歴多数。



先輩からのバトン受け継ぎ調整役に
こだわりよりバランス

伊是名島出身の仲元典允さん。当初から建築を意識していたわけではなかった。中学生のときの進路指導で、先生から沖縄工業高校の建築科を薦められたという。

在学時の沖縄工業高校では、金城信吉さんと親しかった親泊元高さんも教鞭をとっていて、次第に真面目に建築を意識するようになる。

卒業後は嵩原安一郎さんが主宰するアダン設計事務所に勤めた。嵩原さんは、現代設計の大村重信さんや金城俊光さん、金城信吉さんという旧那覇市民会館の設計に携わる面々とも交流があり、その頃から現代設計には優秀な方々がいることを仲元さんは聞いていた。

 
金城俊光氏とのつながり

アダン設計に1~2年勤めたが、沖縄だけでなく本土でも修業したい気持ちが強くなり、上京して設計事務所に10年ほど勤めた。「いずれ沖縄に帰る意識があったから、さまざまなことを吸収しようという意欲がありましたね」と振り返る。

沖縄に戻ってきて再び嵩原さんを訪ねたが、スタッフ募集はしていないからと現代設計を薦めてくれた。「現代設計の方も募集してなかったみたいだったけど、嵩原さんの紹介だからと引き受けてくれたみたいですね」と仲元さんは笑う。

「現代設計で金城俊光さんと一緒に設計に関わったのは3年間ほどです。体調を崩されてからはご自宅で設計していたので、よく図面を受け取りに伺いました。長年、現代設計では俊光さんが全体計画を構想してスタッフが詳細を詰めていくスタイルで設計していました。ある日、自分でもプランを考えて計画案を見てもらったんです。すると腕を組んでうーんと唸ったあと『君のプランの方が良いから、この計画で進めよう』と言ってくれたこともありましたね」

懐の深い人物だったことがわかる。俊光さんから「あとは君に計画を任せるから、頑張って仕上げなさい」とバトンを受け取った時のことが忘れられないという。「浦添市にある米国総領事館の設計は私が関わった仕事の中でも特に思い出深い。設計内容を説明するために渡米して米国国務省を訪れている時に俊光さんの訃報を知りました」と仲元さんは振り返った。

当時の図面を振り返る仲元さん
当時の図面を振り返る仲元さん


気候や経済性、歴史も考慮

仲元さんは、良い建築をつくるために「バランス」を考えることを心がけているのだという。抽象的な表現なのだが、気候風土、街並み、経済性、施工性、歴史など建築にまつわるさまざまな事柄を包括した「バランス」を考えるということだ。

「若いときは自分の表現したいデザインにこだわることもあるけれど、施主のことや建物ができた後のことなど含めてもっと幅広く考えて偏り過ぎないよう意識しているし、それを大事にするように所員にも伝えていますね」と教えてくれた。

仲元さんの足跡だけでなく、さまざまな人に影響を与えた沖縄建築の先輩方の話も伺うことができた。



沖縄県知事公舎(那覇市、1998年)
沖縄県知事公舎(那覇市、1998年)地上2階建て、RC造。周囲より小高い丘に位置しているものの風景に溶け込むよう赤瓦の切り妻屋根が分棟で並ぶような構成となっており、圧迫感の少ない計画になっている。グスクのようなヒンプンが生活およびサービス空間と公務空間との動線を分けている。公務空間はときとして防災拠点となるような24時間体制の空間だ。

仲元さんは「聞き取りで首長は1年365日休みの無い仕事だと知り、生活とのバランスを意識して少しでも安らげるような建築にしたいと思った」と語ってくれた。


公務空間と生活空間をつなぐ中庭部分。緩やかな勾配がついており、視線が直接交わらない緩衝空間になっている(知事公舎の写真はいずれも現代設計提供)公務空間と生活空間をつなぐ中庭部分。緩やかな勾配がついており、視線が直接交わらない緩衝空間になっている(知事公舎の写真はいずれも現代設計提供)



南風原町役場庁舎(南風原町、1998年)
南風原町役場庁舎(南風原町、1998年)
地下1階、地上6階建て、SRC造。正面部に半円筒状に突き出した議会棟部分が印象深い。南風原町はカボチャの産地のため、カボチャを想起させるデザインの要望をいただいたので、頭を悩ませつつ抽象的に表現した部分だったとのこと。
 
道路側から正面を見たところ。「カボチャ」の大空間を2本の柱が支えるように立っており、量感があって力強くたくましい印象のデザインとなっている
道路側から正面を見たところ。「カボチャ」の大空間を2本の柱が支えるように立っており、量感があって力強くたくましい印象のデザインとなっている

光と影のパターンの様子。南面部は深いひさしや花ブロック、手すりなどによる緩衝帯として、強い直射光から守ってくれていることが分かる
光と影のパターンの様子。南面部は深いひさしや花ブロック、手すりなどによる緩衝帯として、強い直射光から守ってくれていることが分かる



旧那覇市民会館(那覇市、1970年)
旧那覇市民会館(那覇市、1970年)
仲元さんの入社前となるが、現代設計の作品として著名な那覇市民会館。深い軒を持った屋根型と大階段が印象的。2016年10月より休館し、現在仮囲いされている。写真は2006年撮影。




単位の違いに苦労
浦添市のバークレーズコート駐車場から見える米国総領事館
浦添市のバークレーズコート駐車場から見える米国総領事館

「米国総領事館の設計が一番思い出深かった」と仲元さんは振り返る。1984年の基本設計に始まり、87年1月に竣工(しゅんこう)した。

85年8月に当時の現代設計代表の大村重信さんと、日本大使館からの建築専門の通訳を伴ってワシントンDCに赴き、設計内容について協議した。現地での10日間は、昼は設計協議、夜はホテルで図面作成する日々だったという。主にセキュリティーに関わる資材や部品は米国からの支給品を利用するため、図面はメートルとインチの両方を使わなくてはならず苦労したという。


[文・写真] 普久原朝充
ふくはら・ときみつ/1979年、那覇市生まれ。琉球大学環境建設工学科卒。アトリエNOA勤務の一級建築士。『沖縄島建築 建物と暮らしの記憶と記録』(トゥーバージンズ)を建築監修。

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毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1927号・2022年12月9日紙面から掲載

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