建築
2020年12月11日更新
フクハラ君 沖縄建築を学びなおしなさい[2]| 設計同人GAN代表 赤嶺和雄さん
沖縄建築について学ぶべく、一級建築士である普久原朝充さんが、県内で活躍してきた先輩建築士に話を聞いてリポートする本連載。県内の島々を巡り歩いた赤嶺和雄さんは、土地に根付く自然や物事と対話し、サインを捉えながら建物の設計をしてきた。(文・写真 普久原朝充)
自然のサインを捉える
設計同人GAN 代表
赤嶺和雄さん(76)
あかみね・かずお/1944年、那覇市出身。63年、県立沖縄工業高校建築科を卒業。その後、現代建築設計事務所に就職。67年、東京の小林設計事務所へ。72年、早稲田大学産業専修技術学校卒業。同年、帰郷し、再び現代建築設計事務所へ。77年、独立して設計同人GANを設立。同年、宜野湾市庁舎設計競技1位当選。93年、建築士の仲井間憲児・和宇慶朝健・渡久地克子とともに組んだ「グループ轔(りん)」で平和の礎デザインコンペ大賞
土地に根付くものがプランの中心
「東京に行って、自分が沖縄を知らないということを知って帰ってきたんだよ。だから沖縄に戻ってきてから、島々を三十以上巡ったんだ」建築を志し、東京での仕事に憧れて上京したときのことを赤嶺和雄さんはこう振り返った。
沖縄工業高校を卒業し、現代設計事務所に勤めた。那覇市民会館等の設計者として知られる金城俊光さんや金城信吉さんらが在籍する事務所だ。時折、著名な建築家が本土から訪ねてくることもあり、そのやりとりを見て本土への憧れが募った。
事務所の支援もあって本土の設計事務所に勤めた折、現地の知人のつてで早稲田大学U研究室を訪ねる。近代建築の巨匠ル・コルビュジエに師事した吉阪隆正氏主宰の研究室で、出入りを求めた赤嶺青年は夜間の早稲田専修学校を勧められた。そこで建築の講師を務めていたのが、象設計集団の大竹康市さんや樋口裕康さんらである。
「彼らがすごいのはね、目や頭で見ようとするのではなく、足で見ようとするんだよ」
後に名護市庁舎(1981年竣工)のデザインに結実する、象グループによる沖縄でのフィールドワークは、まさに足で歩き回って地域の本質に迫ろうとする活動だった。
島々巡りフィールドワーク
沖縄に戻った赤嶺さんもまた島々を巡り歩き、最南端の波照間島にてシマで生きることの切実さを感じ取った。例えば、村の祭事や舞踊の背景には雨乞い祈願が通底。道路拡張工事においては、長年にわたり村を暴風雨から守り続けたフクギ並木を残して根元部分を避けるように蛇行して舗装されていた。
「水がいかに大事か、そして、もともとその土地に根付いているものがプランをつくっているのだと思い知らされた」
井戸がつくった住宅
私が沖縄で屈指の名作だと思う住宅建築の筆頭に、赤嶺さんの自邸『野石積みの家』がある。沖縄の旧家では屋敷囲いなどに使われる野石積みの石灰岩が住居内にもあふれ出し、温かみのある表情を見せる。間取りの中央部、光が差し込む厳かな中庭の正面には井戸がある。
「訪れた人のなかには『ちょうどいい場所に井戸を作りましたね』と言う人もいるけれど、逆なんだよ。井戸がプランの起点になっているんだ。井戸がこの住宅をつくったと言い換えてもいいぐらい。旧家を取り壊してこの住宅を建てるとき、おふくろにも井戸だけは絶対に壊すなと言われた。素材としての石積みが目立つから、皆そこに注目してしまうかもしれないけれど、やはり一番大事なのは中庭の井戸を残したことなんだよ」
指摘通り、「石積みが素晴らしいな」と勘違いをしていた私はただ黙ってうなずいた。
◇ ◇
「好きで育てた鉢植えを枯らしてしまった」と、赤嶺さんは古老に打ち明けたことがある。すると「赤嶺君。あなたが嫌いだからと自殺する植物はいないよ。ちゃんと植物とは対話したの?」と、植物や自然の発するサインを見逃しているのだと教えられた。そのときの言葉が今も赤嶺さんの哲学になっている。野石積みの家(1981年、那覇市宇栄原)
赤嶺さんの自邸。旧家で生活の中心となっていた井戸を残して中庭に据え、その周囲に諸室を配置した軸の明確なプラン。代々先祖の命をつないできた井戸が中心にあり、心理的にも、井戸が住まいの支えとなっていることが分かる構成となっている。
また、一つ一つ琉球石灰岩の形を考慮しながら隙間なく積み上げた「野石積み」の壁は外周部に設けられているほか、建物内部の仕上げにもなっている。堅牢さと穏やかさの両方の印象を受けるとともに、周囲の植栽とも有機的につながり調和した建物。
写真右手の中庭から光が入るので、照明をつけなくても室内は明るい。石積みの壁も落ち着いて見える
居間。傾斜のついた天井や、緩やかなカーブを描く壁面に施された琉球石灰岩により、柔らかい印象
最近は中庭で亀を飼っており、井戸の上には水槽が置かれている
大きな庇と縁側による雨端(アマハジ)空間。落ち着いて庭を眺められる
建物を覆う植栽から時折見え隠れする石積み壁が、まるで古代遺跡のよう
アプローチの階段は、以前の母屋で犬走りや倉庫の床などに使われていた「ニービヌフニ」を再利用。小禄地域でよく採れた石で、小禄砂岩とも呼ばれる緑化した屋上で水まきする赤嶺さん。一度、台風被害に遭ったが、部分的に補修しながら再挑戦している
建て替え前の母屋の隣に増築した家屋。現在も残る井戸と、試験的に積んだ石垣が見える。その土地で得られる資源を有効に活用して築いてきた沖縄の石造文化を見つめ直し、建築に取り入れるアイデアをずっと考え続けていたことが分かる
本土建築家との交流 名護市庁舎竣工を機に、設計を手掛けた象設計集団が企画した沖縄ツアーの様子をまとめた小冊子『うちなぁぐぶりぃさびぃんどう』。象グループの大竹康市氏のコラムに『赤嶺君は15年位前の産専(早稲田大学産業専修技術学校)のOBである。自力建設のすばらしい自宅あり、宿泊宴会に最適』と書かれている。当時の象グループとの交流の様子がうかがえる一文だ。
[文・写真] 普久原朝充
ふくはら・ときみつ/1979年、那覇市生まれ。琉球大学環境建設工学科卒。アトリエNOA勤務の一級建築士。『沖縄島建築 建物と暮らしの記憶と記録』(トゥーバージンズ)を建築監修。
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毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1823号・2020年12月11日紙面から掲載