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2022年9月16日更新

[沖縄]みんなで植え育てる街の緑 記念植樹方式による緑化|街中のみどり⑥

文/吉田朝啓、福村俊治 写真/福村俊治
かつて沖縄は亜熱帯の「緑の島」だった。戦前の沖縄には首里と那覇を除いて大きな街はなく、緑の丘陵地と農地に囲まれた集落が点在した。琉球王国の間切(まぎり、行政区分の一つ)・シマ制度時代にはその間切番所を結ぶ松並木の「宿道」もあった。明治以降もその緑の風景はさほど変わることはなかった。

 か つて沖縄は亜熱帯の「緑の島」だった。戦前の沖縄には首里と那覇を除いて大きな街はなく、緑の丘陵地と農地に囲まれた集落が点在した。琉球王国の間切(まぎり、行政区分の一つ)・シマ制度時代にはその間切番所を結ぶ松並木の「宿道」もあった。明治以降もその緑の風景はさほど変わることはなかった。

大きく変わり始めるのは、沖縄戦直前。日本軍による飛行場建設や戦闘壕をつくるのに使う材木供出のための樹木の伐採だった。そして、沖縄戦で沖縄の緑は完璧に失われた。


車社会で減り続ける緑

米軍施政下の戦後復興期、鉄道などの公共交通整備や都市計画がなされないまま都市化が始まる。これは、車社会の始まりでもあった。日本復帰後の都市インフラ整備に莫大(ばくだい)な予算が投入されるが、それは都市の無秩序な広がりを助長するばかりで、残された原野や農地も宅地化が進み、どんどん緑が減っている。そして今、ヒートアイランド、地面の保水性、崖崩れ、景観の悪化など多くの都市・環境問題も起きつつある。

さらに現在は自動車であふれている。どこに行くにも、わずかな買い物でも車を利用する。文明の利器と言えばありがたいが、これに付随して失うものが多過ぎる。渋滞するから道路拡幅し、新しい道路をつくるが交通混雑は解消されない。走っているときはともかく、止まっているときの駐車場の問題もある。台数が増えるほど緑が消えていく感じだ。

植樹でよみがえる「緑の島」

さて、私たちは「緑の島」をどうやって復元すれば良いのだろうか、できることは何か? コンビニ、スーパー、銀行など広い駐車場を持つ民間施設ではその経営者が、学校や公民館や公園などの公共施設では利用者が、住宅や集合住宅では住人が、それぞれ植樹し手入れする。樹木も高価な成木でなく、高さ1~1.5メートルの幼木を植えたらどうだろうか。数年もすれば立派な樹木に育つ。

観光客が訪れるような名所旧跡などには、沖縄観光の記念に植樹できるような仕組みを作る。また、地元の著名人や裕福な方にも社会貢献としての植樹の仕組みを作る。植樹した樹木には樹種や植樹した人の名前や期日などが分かる銘板を付ける。

誕生・進学・卒業・就職・結婚・退職・米寿などの記念日に、県民や企業や自治体が協力し植樹をすれば、十数年のうちに世界に誇る緑と花の観光地になることは間違いない。



現在の国道58号の自動車交通事情


首里城周辺の沖縄戦による緑の破壊(県公文書館所蔵)


普天間の松並木の風景(野々村孝男撮影)


竹富島の集落(沖縄の伝統的集落の風景)


沖縄本島の移り変わり(戦前・日本復帰前と後)
 


執筆者
よしだ・ちょうけい/1931年生まれ。那覇保健所や琉球衛生研究所、中央保健所などに勤め、県内の公衆衛生に寄与。NPO法人首里まちづくり研究会の顧問を務めるなど、地元首里の緑化に励む。

毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1915号・2022年9月16
日紙面から掲載

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