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2022年12月16日更新
[沖縄]シンガポールに学ぶ緑化街づくり 沖縄の都市緑化政策への提言|街中のみどり⑧
文・写真/福村俊治
都市緑化といえば、ガーデンシティー・シンガポールが有名である。沖縄本島中南部地域ほどの国土面積約700平方キロメートルに人口約600万人が居住するシンガポールは、今やアジアの一大都市国家である。
都 市緑化といえば、ガーデンシティー・シンガポールが有名である。沖縄本島中南部地域ほどの国土面積約700平方キロメートルに人口約600万人が居住するシンガポールは、今やアジアの一大都市国家である。1819年にラッフルズ卿(きょう)が、イギリスの東インド会社交易所を開設したことに始まり、その後イギリス、日本による支配の後、マレーシアから1965年に独立した。
当時はまだ不安定な時代でアジア特有の共産主義の脅威や失業・貧困、人口過密、インフラの不足など多くの問題を抱えていた。これらの問題を解決するためにシンガポール政府は産業化を進め、廉価な公共住宅建設、河川水質の改善などを主とする街づくりを始めた。
当時リー・クァンユー首相は、都市緑化の必要性を認識し、シンガポールをガーデンシティーへと発展させるビジョンを打ち出した。国民が生きることに精いっぱいで余裕のない時代であったが、首相は「この新しい植物が生育すれば、気温が下がり過ごしやすくなり、今とは違うシンガポールになる」と語った。景観の向上や日陰のある快適な都市を築きあげることによって「安心・快適・清潔」なイメージを海外投資家や観光客に与え、国際的な競争力を高めることを目指した。
当時はまだ不安定な時代でアジア特有の共産主義の脅威や失業・貧困、人口過密、インフラの不足など多くの問題を抱えていた。これらの問題を解決するためにシンガポール政府は産業化を進め、廉価な公共住宅建設、河川水質の改善などを主とする街づくりを始めた。
当時リー・クァンユー首相は、都市緑化の必要性を認識し、シンガポールをガーデンシティーへと発展させるビジョンを打ち出した。国民が生きることに精いっぱいで余裕のない時代であったが、首相は「この新しい植物が生育すれば、気温が下がり過ごしやすくなり、今とは違うシンガポールになる」と語った。景観の向上や日陰のある快適な都市を築きあげることによって「安心・快適・清潔」なイメージを海外投資家や観光客に与え、国際的な競争力を高めることを目指した。
国土の3分の1を緑が覆う
現在シンガポールには33カ所・約1650ヘクタールの都市公園、2900ヘクタールの自然保護区、約4000ヘクタールの道路沿いの街路樹があり、樹木約100万本が管理されている。独立当初から人口が約3倍になり都市が拡大したにもかかわらず、おおむね国土の3分の1が緑で覆われていることになっている。
シンガポールの緑化政策は、国家開発省の国立公園庁が担当し、国家予算の一定割合をつけて継続的な計画・実施・管理が行われている。つまり(1)緑化政策の段階ごとに細かく計画され着実に実行(2)徹底した植物研究と維持管理(3)法律による厳しい緑の保護規制-などによって、都市緑化政策が継続している。
そして現在は「Garden City(都市の緑化とより良い住環境整備)」から「City in a Garden(自然と共存し持続可能な都市づくりと豊かな国民生活を構築)」となり、既存の公園を生かしつつ、点の緑から線、そして面的な整備へと広げることに重点を置きつつある。
「緑のプロ」集団である国立公園庁(NParks)によって民間敷地の樹木を含め、植栽から維持管理まで1本1本データ化され維持管理され、「緑の社会資本」が成長・蓄積されている。
30数年前のシンガポールの一般的な街並み
街路樹が大きく成長した、現在の一般的な幹線道路
緑の中に立ち並ぶ集合住宅群(画像はgoogle earthより)
埋め立て地にあるマリーナベイホテルとガーデンズバイザベイ植物園(写真はシンガポール観光局より)
オーチャード通りにあるホテルの建築緑化(写真はホリデイ・インより)
チャンギ国際空港の商業施設での室内緑化(写真はシンガポール観光局より)
執筆者
ふくむら・しゅんじ/1953年滋賀県生まれ。関西大学建築学科大学院修了後、原広司+アトリエファイ建築研究所に勤務。1990年空間計画VOYAGER、1997年teamDREAM設立。沖縄県平和祈念資料館、沖縄県総合福祉センター、那覇市役所銘苅庁舎のほか、個人住宅などを手掛ける
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1928号・2022年12月16日紙面から掲載