[沖縄・建築探訪PartⅡ(26)]21世紀の森 (名護市)|タイムス住宅新聞社ウェブマガジン

沖縄の住宅建築情報と建築に関わる企業様をご紹介

タイムス住宅新聞ウェブマガジン

スペシャルコンテンツ

地域情報(街・人・文化)

2022年8月12日更新

[沖縄・建築探訪PartⅡ(26)]21世紀の森 (名護市)

次世代に残したい沖縄の建造物の歴史的価値や魅力について、建築士の福村俊治さんがつづります。文・写真/福村俊治

地域情報(街・人・文化)

タグから記事を探す

逆格差論による沖縄の建築・街づくり

21世紀の森(名護市)

沖縄は日本南西端の亜熱帯島しょ地域に位置し、本土とは異なる気候風土と歴史文化を持つ。しかし復帰後さまざまな施策で本土基準が適用されるようになり多くの弊害が出ている。

復帰前の1970年、1町4村が合併し名護市が生まれた。初代市長渡具知裕徳は、沖縄や名護の特異性を鑑み「逆格差論」という地域の豊かな自然を生かし産業を活性化する、つまり地方の個性を生かす建築・街づくりを目指した。名護湾の埋め立て地には企業誘致を選択せず、市民が緑や海と親しめる「21世紀の森公園」を作り、地域の農業生産や地場産業を重視した。その考えで名護市庁舎や市民会館なども建設された。

名護市庁舎の全景。2005年筆者撮影。芝生の市民広場を取り囲むよう配置。セットバックして既存市街地や住民のスケールに合わせている。この建物こそ新しい沖縄の建築思想が込められている。写真右上部に名護市民会館が見える。この建物も広い広場がある。
名護市庁舎の全景。2005年筆者撮影。芝生の市民広場を取り囲むよう配置。セットバックして既存市街地や住民のスケールに合わせている。この建物こそ新しい沖縄の建築思想が込められている。写真右上部に名護市民会館が見える。この建物も広い広場がある。

国道58号側から見た外観。市街地側とは異なる垂直面の壁面。名護市の集落の数のシーサーが、名護市民を守っていた。残念ながら、度重なる台風によって劣化し、取り外された。数年に一度のメンテナンスがされておればよかったのに。
国道58号側から見た外観。市街地側とは異なる垂直面の壁面。名護市の集落の数のシーサーが、名護市民を守っていた。残念ながら、度重なる台風によって劣化し、取り外された。数年に一度のメンテナンスがされておればよかったのに。


名護の気候風土生かす

市庁舎は、「沖縄における建築とは何か」「市庁舎はどうあるべきか」を広く日本中に問う形で設計競技とした。応募登録795、応募数308案が集まり、日本中の市町村や設計・建設関係の人々の注目を集めた。結果として、名護の気候風土を生かした象設計集団の案が選ばれた。その設計の基本的考えは、今では常識だが SDGsで叫ばれている省エネ、環境共生、景観、市民参加などで、具体的には風の道や屋上・壁面緑化、半戸外のアシャギテラス、コンクリートブロックや地元景観や市民広場を考慮した建物配置や平面計画だった。つまり逆格差論を形にしたのが市庁舎だ。逆格差論による建築・街づくりは今でも多くの地方自治体や建築家の支持を受け、名護の存在を全国に知らしめている。今年の秋に日本建築家協会の全国大会が那覇で開催され、多くの建築家がこの庁舎を見学に訪れるはずだ。また、この市庁舎は観光ガイドブックにも出て、観光客名所にもなっている。

竣工して41年たちこの建物も少し年老いて、塗装の色あせや手すりのさび、コンクリートの爆裂やひび割れもおきている。そして数年前には外壁のシーサーも撤去され寂しくなった。最近は庁舎の老朽化や狭隘(きょうあい)さ、そして耐震性の問題で建て替えも検討されていると聞くが、本当は建物には寿命というものがなく、手入れや補修さえすれば半永久的に持つ。事実、70年前の朝鮮戦争の頃に建設された米軍基地内の建物は今でもしっかりと建ち、芝生も樹木とともに昔の景観のままだ。定期的に維持管理されているからだ。

沖縄では建て替えれば国の補助金が出るというシステムの中で、復帰後スクラップ・アンド・ビルドが繰り返され、復帰前の歴史を伝える建物や風景がなくなりつつある。大切な地元沖縄の特異性や先人の教えを忘れ、大切な地元の自然や文化を失いつつある。名護が提唱した逆格差論をぜひ継承してほしい。
 
沖縄のほかの市町村が沖縄の美しい海を埋め立て、業務街や倉庫街のある港湾施設を作っているにもかかわらず、名護市は市民のための運動公園やビーチなど「21世紀の森」を数十年前に作ったことは住民の主体の街づくりであり、先見の明があった(Googleマップより)
沖縄のほかの市町村が沖縄の美しい海を埋め立て、業務街や倉庫街のある港湾施設を作っているにもかかわらず、名護市は市民のための運動公園やビーチなど「21世紀の森」を数十年前に作ったことは住民の主体の街づくりであり、先見の明があった(Googleマップより)

 
[沖縄・建築探訪PartⅡ]福村俊治
ふくむら・しゅんじ 1953年滋賀県生まれ。関西大学建築学科大学院修了後、原広司+アトリエファイ建築研究所に勤務。1990年空間計画VOYAGER、1997年teamDREAM設立。沖縄県平和祈念資料館、沖縄県総合福祉センター、那覇市役所銘苅庁舎のほか、個人住宅などを手掛ける

毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1910号・2022年8月12日紙面から掲載

地域情報(街・人・文化)

タグから記事を探す

この連載の記事

この記事のキュレーター

スタッフ
週刊タイムス住宅新聞編集部

これまでに書いた記事:2401

沖縄の住宅、建築、住まいのことを発信します。

TOPへ戻る