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2022年12月9日更新
[建築探訪PartⅡ(30)]沖縄と琉球の建築(沖縄県)
次世代に残したい沖縄の建造物の歴史的価値や魅力について、建築士の福村俊治さんがつづります。文・写真/福村俊治
沖縄・琉球が示唆する現代日本建築のあり方
沖縄と琉球の建築(沖縄県)日本の著名建築家の誰もが沖縄で建築作品を設計することを望んでいる。事実、沖縄には本土建築家の話題作が多く、東京や大阪以外のどの地域よりも名建築の宝庫である。
本来、建築は機能を満たす単なる箱でなく、その建物が建つ地域の気候風土・歴史・文化、そして経済性や建築技術など全てを包含する総合芸術を「形」にまとめたものである。機能性や建築技術がいかに優れていても、それだけでは本当の「建築」にはならない。そして魅力ある街並みや都市は生まれない。
沖縄にはその条件を満たす環境がある。日本本土とは異なる温暖な気候風土に育まれた自然や琉球王国の歴史文化があり、素晴らしい建築作品や街を生み出す土壌がある。しかし沖縄戦や戦後の米軍施政や復帰後の時代の変化に翻(ほん)弄(ろう)され、地元沖縄が「沖縄らしさ」を忘れ、スクラップ・アンド・ビルドを続けてきた。そのため、本土の地方や開発途上国の都市で見かけるような建物や街並みになりつつある。ある人はこの風景を「カオス」と言い、ある人は「チャンプルー」と言葉を濁す。
中村家住宅 母屋(ウフヤ)の一番座から雨端(アマハジ)を介して中庭(ナー)を見る。室内は外部と連続する。石垣や離れや高倉、そして母屋に囲まれた中庭は建築空間化する。
仲村渠樋川(ヒージャー)。ガジュマル、石垣、石畳、水場、あずまやが並ぶ風景は沖縄の原風景そのものである。
建築写真で沖縄再発見
小川重雄氏は大学時代、建築写真界の重鎮である渡辺義雄に見いだされ建築写真家を志す。川澄写真事務所や新建築社に長年勤め、十数年前に独立した。建築写真は特異な写真分野だ。持って生まれた感性や長年の経験によって、その建物が「建築たりうるか」「この建築が訴えるものは何か」を見抜く力量を持たなければ建築写真家と呼ばれないし、人を感動させる建築写真を撮れない。私も以前、撮ってもらったことがあるが、氏がその建物を通して私自身の建築設計に対する姿勢を問うているような緊張感を感じた。
小川氏は今、Timeless Landscapesのシリーズとして2017年「国宝・閑谷学校」、2020年「イサム・ノグチ モエレ沼公園」、そして、今回の「沖縄と琉球の建築」の写真集を出版し、先日、東京や大阪に先立って那覇で写真展示会を開いた。展示された写真は、風土に即した沖縄の生活と建築のあり方を通して、経済や建築技術ばかりが優先される現代日本の建築のあり方に、ある重要な示唆を与えようとして撮ったものだと小川氏から聞いた。私は小川氏がこの沖縄で何を観(み)て、何を示唆したいのかを知りたくて写真展を見に行った。何度か訪れたことがある垣花樋川(ヒージャー)、勝連城跡、中城城跡、中村家、渡名喜島集落、与那国島墓群、そしてムーンビーチホテルの写真だ。見慣れたはずの被写体だが、どれも初めて観る光景に驚き、沖縄を再発見した。光、緑、影、水、石、画面いっぱいに沖縄と琉球が広がっていた。建築家必携の写真集だ。
渡名喜島の集落風景 沖縄の重要伝統的建造物保存地区のひとつ。他には竹富島にしか残っていない。
中村家住宅のドローイング
中村家住宅のドローイング
「沖縄と琉球の建築」の表紙 写真:小川重雄 解説:青井哲人 ドローイング:遠藤彗 発行所:millegraph
ふくむら・しゅんじ 1953年滋賀県生まれ。関西大学建築学科大学院修了後、原広司+アトリエファイ建築研究所に勤務。1990年空間計画VOYAGER、1997年teamDREAM設立。沖縄県平和祈念資料館、沖縄県総合福祉センター、那覇市役所銘苅庁舎のほか、個人住宅などを手掛ける
ふくむら・しゅんじ 1953年滋賀県生まれ。関西大学建築学科大学院修了後、原広司+アトリエファイ建築研究所に勤務。1990年空間計画VOYAGER、1997年teamDREAM設立。沖縄県平和祈念資料館、沖縄県総合福祉センター、那覇市役所銘苅庁舎のほか、個人住宅などを手掛ける
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1927号・2022年12月9日紙面から掲載
第1927号・2022年12月9日紙面から掲載