[沖縄・建築]花ブロックの誕生 軌跡と背景|織物文化と米国建築文化の融合で沖縄独自の建材へ|タイムス住宅新聞社ウェブマガジン

沖縄の住宅建築情報と建築に関わる企業様をご紹介

タイムス住宅新聞ウェブマガジン

スペシャルコンテンツ

建築

2021年7月30日更新

[沖縄・建築]花ブロックの誕生 軌跡と背景|織物文化と米国建築文化の融合で沖縄独自の建材へ

沖縄を代表する建材の一つ「花ブロック」。考案者は建築家・仲座久雄氏だとされている。その子息である仲座巖さん(82)が今年6月、花ブロック誕生の背景や当時の使い方などをまとめた冊子「いわゆる『花ブロック』について」を発行。冊子を作った思いとともに概要を紹介する。



仲座久雄
仲座久雄
なかざ・ひさお(1904 - 62)
中城村字津覇生まれ。21年から大阪で建築を学び、33年に帰郷。守礼門修理工事を担当したほか、終戦後には規格住宅を設計。49年、仲座久雄建築設計事務所設立。50年、群島政府建築課長。55年、沖縄建築士会設立、初代~第5代会長を務めた。

 

オリジナルの一端を示す

花ブロックは、風を通しつつ外からの視線や日光を緩和する「機能性」と、花を連想させるような独特な「デザイン性」を兼ね備えたコンクリート製のブロック。今でも住宅をはじめさまざまな建築物に使われており、身近な存在とも言える。

しかし、その誕生については、「仲座久雄氏が考案した」とされながらも、実態は明らかにされてこなかった。そこで、子息の仲座巖さんは「オリジナルの花ブロックについて実態の一端を示せるのは自分だけ」と、旧仲座久雄建築設計事務所が手掛けた設計概要図や写真、新聞などさまざまな資料を基に、考察を交えながらまとめていった。
 
仲座巖
冊子を作った仲座巖さん
 

かすり模様に着想

冊子によると、最初に花ブロックが使われたのは1954年。当時、手すりや窓の格子は鉄を使うのが一般的だったが、塩害で腐食が早く、多額の維持費がかかったという。

そこで久雄氏は耐火性・耐久性に優れ、さびることもないコンクリートを採用。米軍の影響で普及し始めたばかりの建材だったが、試行錯誤を重ねて、53年には棒状の「プレカストコンクリート」(工場で作られたコンクリート製品)を試作した。

そんな時、和裁を教える場となる建物の設計をする中で、沖縄織物のかすり模様に着想を得たのが花ブロックだ。巖さんは「当時の新聞にそう記述があった」と話し、「意匠的なデザインだけでなく、機能性も備えた新たな建材として考案した」と考察。小さく分割されたパーツを組み合わせて曲線的な模様を描くことで、コンクリートの重い印象を払拭し、軽快な印象にするのも目的だったという。

花ブロック誕生の背景には、「守礼門の解体修理工事に携わったことも関係している」と巖さん。「父はその工事で、先人たちが多様な文化や技術を応用し、風土に合わせた独自の技術を生み出していたことに胸を打たれた。『自分もその気質を受け継いでいるんだ』と、米軍関係の工事に関わるなど積極的に異文化に触れ、先人のように良いものを作りたいと考えていた」

そうして花ブロックは、織物と建築を融合させながら、アメリカのコンクリートを沖縄の気候風土に応用して生まれた。
 

現場での愛称が一般的に

名称について「『花ブロック』はあくまでも俗称」と巖さん。実際、最初に使われた設計概要図には「旭ブロック会社製プレカストコンクリートブロック」と表記されている。

巖さんは「製品名が長いので職人たちの間でいろいろな呼び名があったみたい。そのため図面やブロック会社の広告の表記も統一されていないが、花ブロックが一番しっくりきたのだろう。父も、図面には『旭ブロック―』と書きながら、私的なメモでは花ブロックと書いている」

そして、そのブロックを全面に使った仲座久雄建築設計事務所が行政府の目の前にあったことで、花ブロックと呼び名が多くの人に広まっていったという。

巖さんは冊子を手にしながら「こんな経緯があったんだと知ってもらえれば」と話す。

冊子は今後、図書館などに寄贈する予定。
 


地元産での建築目指す

戦後初期の住宅建築は、米軍支給の木造規格住宅「キカク家」で始まったが、一般の建築資材の入手は困難だった。そこで仲座久雄氏は、地元産の建材を使って家を建てられないかと試行錯誤する。

れんがをはじめ、小石、粟石、コンクリートブロック、鉄筋コンクリートなど、いろいろな建材や工法に挑戦した。

仲座巖さんは「台風にも耐えられる住まいを低コストで供給することで、人々の生活を良くしたいという思いが、父の根底にあった。花ブロックも、そんな挑戦の流れの中で生まれたものだ」と話した。
れんが積みの建物(1949年)。久雄氏は戦前、県の技師として県外でれんが工場の調査をしたほか、戦後には嘉手納基地内のれんが工場の設計にも関わった
れんが積みの建物(1949年)。久雄氏は戦前、県の技師として県外でれんが工場の調査をしたほか、戦後には嘉手納基地内のれんが工場の設計にも関わった

小石積みの建物(1949年)
小石積みの建物(1949年)

粟石積みの初等学校校舎(工事中、1951年)
粟石積みの初等学校校舎(工事中、1951年)


冊子を5人にプレゼント

仲座巖さんが発行した冊子「いわゆる『花ブロック』について」を抽選で5人にプレゼントします。希望者は住所、氏名、年齢、電話番号を記載の上、下記まで送ってください。

【あて先】
〒900‐0015 那覇市久茂地2‐2‐2   タイムスビル11階
タイムス住宅新聞社「花ブロック冊子プレゼント」係

メールは件名に「花ブロック冊子プレゼント」と書いて、h.jyuutaku.jht@gmail.comまで。

取材/出嶋佳祐
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1856号・2021年7月30日紙面から掲載

建築

タグから記事を探す

この記事のキュレーター

スタッフ
出嶋佳祐

これまでに書いた記事:224

編集者
「週刊タイムス住宅新聞」の記事を書く。映画、落語、図書館、散歩、糖分、変な生き物をこよなく愛し、周囲にもダダ漏れ状態のはずなのに、名前を入力すると考えていることが分かるサイトで表示されるのは「秘」のみ。誰にも見つからないように隠しているのは能ある鷹のごとくいざというときに出す「爪」程度だが、これに関してはきっちり隠し通せており、自分でもその在り処は分からない。取材しながら爪探し中。

TOPへ戻る