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2021年1月8日更新
沖縄初の本格的リゾートホテル|建築探訪PartⅡ⑦
次世代に残したい沖縄の建造物の歴史的価値や魅力について、建築士の福村俊治さんがつづります。
沖縄初の本格的リゾートホテル
「コスタビスタ沖縄 ホテル&スパ」(北中城村)
-7-
沖縄本島中部、沖縄自動車から眺められる北中城村の丘の上に、緩やかな曲線を描くコスタビスタ沖縄ホテル&スパの建物がある。この高台からは太平洋と東シナ海が眺められ、眼下には広大な米軍キャンプ・フォスターのハウジングが広がる。
1972年1月に竣工したこの建物はヒルトン本社直営の沖縄初の本格的リゾートホテル「沖縄ヒルトン」だった。その後85年に「シェラトン沖縄」に運営が変わり、バブル後長く放置されたが大規模全面改修され2005年から「コスタビスタ沖縄」として現在に至る。
日本復帰前の琉球列島米国民政府刊行雑誌「守礼の光」によると、ドル経済の沖縄で駐留米軍による支出と砂糖の輸出についで観光業が第3位を占めはじめた1968年頃、ヒルトンインターナショナルやトランスワールド航空(TWA)の協力のもとで地元実業者が、観光客と米軍将校向けホテルとして計画を進めたと書かれている。そして1969年9月、このホテル建設の地鎮祭に出席したランパート高等弁務官もあいさつの中で、この素晴らしい景観の地に一流ホテルを建設するという先見の明をたたえ、沖縄の観光が新時代を迎えたとした。その後、時代は日本復帰、海洋博と続き多くの大型リゾートホテルが建設され、優秀なホテルマンの多くがこのホテルから育ち、現在の沖縄観光があるという。
シェラトン沖縄時代の建物外観。湾曲した二つのホテル棟が地形に合わせて配置されている
沖縄ヒルトン時代の屋外プール(ポストカード)
沖縄自動車道から見る建物外観。緑の丘の高さと建物をそろえ、景観にマッチしている
世界に通じる建築空間
私もヒルトン沖縄時代に利用したことがあるが、このホテルはハワイの建築家による設計で、すべてが「アメリカ」だった。屋宜原から坂道を上りきるとホテルの全景が見え、近づくにつれ曲面の外観は大きく表情を変えながら来訪者をエントランスへと導くのである。フロント・ロビーや客室廊下などの内装は質素でシンプルだが、湾曲した空間はとても印象深かった。家具やベッド、バスタブやドアはアメリカサイズで、ルームも広く天井が高かった。そしてロビーやディスコやバーにいつもアメリカ人がいて異国情緒にあふれ国際的だった。
ハワイのモアナ・サーフライダーホテル、バンコクのオリエンタルホテル旧館、シンガポールのラッフルズホテル、フィリピンのマニラホテルなど由緒あるホテルには、国や都市の歴史と文化、そして観光地として景観を感じさせるものがある。改修工事によって昔のホテルとは少し内外様相が変わったが、このホテルの建物には戦後沖縄の歴史と世界に通じるリゾートホテルのプライドが建築空間として今なお息づいている。周辺地域の都市化が進むが、将来の観光沖縄のためには、沖縄の自然や文化を感じられるような景観や建築をめざした街づくりが大切である。
シェラトン沖縄時代のバー
かつてのロビー
湾曲した廊下
ふくむら・しゅんじ
1953年滋賀県生まれ・関西大学建築学科大学院修了後、原広司+アトリエファイ建築研究所に勤務。97年teamDREAM設立。沖縄県平和祈念資料館、県総合福祉センター、沖縄県国際都市形成構想による基地跡地利用計画、普天間基地跡地計画他
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1827号・2021年1月8日紙面から掲載
「コスタビスタ沖縄 ホテル&スパ」(北中城村)
-7-
沖縄本島中部、沖縄自動車から眺められる北中城村の丘の上に、緩やかな曲線を描くコスタビスタ沖縄ホテル&スパの建物がある。この高台からは太平洋と東シナ海が眺められ、眼下には広大な米軍キャンプ・フォスターのハウジングが広がる。
1972年1月に竣工したこの建物はヒルトン本社直営の沖縄初の本格的リゾートホテル「沖縄ヒルトン」だった。その後85年に「シェラトン沖縄」に運営が変わり、バブル後長く放置されたが大規模全面改修され2005年から「コスタビスタ沖縄」として現在に至る。
日本復帰前の琉球列島米国民政府刊行雑誌「守礼の光」によると、ドル経済の沖縄で駐留米軍による支出と砂糖の輸出についで観光業が第3位を占めはじめた1968年頃、ヒルトンインターナショナルやトランスワールド航空(TWA)の協力のもとで地元実業者が、観光客と米軍将校向けホテルとして計画を進めたと書かれている。そして1969年9月、このホテル建設の地鎮祭に出席したランパート高等弁務官もあいさつの中で、この素晴らしい景観の地に一流ホテルを建設するという先見の明をたたえ、沖縄の観光が新時代を迎えたとした。その後、時代は日本復帰、海洋博と続き多くの大型リゾートホテルが建設され、優秀なホテルマンの多くがこのホテルから育ち、現在の沖縄観光があるという。
シェラトン沖縄時代の建物外観。湾曲した二つのホテル棟が地形に合わせて配置されている
沖縄ヒルトン時代の屋外プール(ポストカード)
沖縄自動車道から見る建物外観。緑の丘の高さと建物をそろえ、景観にマッチしている
世界に通じる建築空間
私もヒルトン沖縄時代に利用したことがあるが、このホテルはハワイの建築家による設計で、すべてが「アメリカ」だった。屋宜原から坂道を上りきるとホテルの全景が見え、近づくにつれ曲面の外観は大きく表情を変えながら来訪者をエントランスへと導くのである。フロント・ロビーや客室廊下などの内装は質素でシンプルだが、湾曲した空間はとても印象深かった。家具やベッド、バスタブやドアはアメリカサイズで、ルームも広く天井が高かった。そしてロビーやディスコやバーにいつもアメリカ人がいて異国情緒にあふれ国際的だった。
ハワイのモアナ・サーフライダーホテル、バンコクのオリエンタルホテル旧館、シンガポールのラッフルズホテル、フィリピンのマニラホテルなど由緒あるホテルには、国や都市の歴史と文化、そして観光地として景観を感じさせるものがある。改修工事によって昔のホテルとは少し内外様相が変わったが、このホテルの建物には戦後沖縄の歴史と世界に通じるリゾートホテルのプライドが建築空間として今なお息づいている。周辺地域の都市化が進むが、将来の観光沖縄のためには、沖縄の自然や文化を感じられるような景観や建築をめざした街づくりが大切である。
シェラトン沖縄時代のバー
かつてのロビー
湾曲した廊下
ふくむら・しゅんじ
1953年滋賀県生まれ・関西大学建築学科大学院修了後、原広司+アトリエファイ建築研究所に勤務。97年teamDREAM設立。沖縄県平和祈念資料館、県総合福祉センター、沖縄県国際都市形成構想による基地跡地利用計画、普天間基地跡地計画他
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1827号・2021年1月8日紙面から掲載