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2021年2月12日更新

国際都市形成構想 (沖縄県)|建築探訪PartⅡ⑧

次世代に残したい沖縄の建造物の歴史的価値や魅力について、建築士の福村俊治さんがつづります。

国際都市形成構想(沖縄県)

美しき島の街づくり過去・現代・未来 
-8-

沖縄の伝統的集落は碁盤目状に区画され、屋敷を石垣や防風林で囲うものが一般的だった。その多くは沖縄戦で失われ、今では一部の離島でしか見られない。これらの伝統的集落の形態は自然発生的に生まれたものでなく、1737年に施行された地割制の時、より農業生産性を上げ安定的生活ができるように琉球国府の指導によって作られたものだった。その多くは三方を山や丘に囲まれ湧き水のある土地に決められた広さの家屋や宅地が並ぶ。そして周囲の農地や緑地や海岸とともに美しい景観をつくっていた。まさに島国沖縄の気候風土を考慮した環境共生型の集落で、中国の風水思想にも裏付けられた「計画的な街づくり」だった。

戦後すぐ高台・平たんな良質の土地を占拠してできた米軍基地も地形に合わせて機能的な施設配置がされた。施設や建物はシンプルでコンパクト、個性はないがしっかり維持管理され長寿命で今でも建設当時のまま姿が維持されている。


戦前の浦添小湾集落。キャンプキンザーの南東部にあった(約100戸)(小湾字誌)



返還前の那覇新都心。米軍牧港ハウジングエリア(192ヘクタール)。1987年全面返還、その後造成され区画整理した(ふるさと飛行)



現在の那覇新都心。細かな街区割と低層・中層の街づくりのため、建物が建て詰まり緑がなくなった(国土地理院)


浦添西海岸とキャンプキンザー(270ヘクタール)。返還が決まり、跡地利用が急がれている。海の埋め立て計画もある(浦添市役所)

持続可能な計画を

一方、私たちが住む一般市街地はどうか。亜熱帯で緑豊かだった丘陵地を造成し自然の海を埋め立て、スプロールした現在の沖縄の街はどこも混(こん)沌(とん)として美しくない。同じ沖縄の地にあってなぜこうも違うのか。単に時代の違いや基地だからという問題ではない。新たな街づくりの思想や長期的展望、自然に対する配慮もなく、目先の経済性や機能性に惑わされた街づくりだったからではないか。個々の建物がいくら立派でも、ふぞろいで維持管理が悪かったり、道路や公園などのインフラ整備が不十分なため街は住みづらく美しくない。

二十数年前、沖縄県は「平和」「共生」「自立」を理念に2015年を目標年次とした「国際都市形成構想」が作られた。沖縄の特性である「島しょ性」「米軍基地跡地」を生かし、周辺諸国と人・物・情報などが交流する「自立県土構造形成」と「都市構造の再生」を目指すグランドデザインを模索した。シンポジウムや普天間基地跡地の国際コンペなど、具体的な街づくりの議論で盛り上がった。しかし県政が変わりその街づくりの計画は突然中断した。その後世界が大きく変わる中で、日本も沖縄も周辺諸国の発展から取り残され悶(もん)々(もん)としている。

今、復帰50周年を前に沖縄県はSDGs(持続可能な開発目標)に基づく沖縄の発展戦略を探っている。言葉の羅列によるビジョンだけでなく、自然や地形を生かした沖縄再生のためのグランドデザインと新しい街づくりの計画が必要だ。その第一歩である浦添西海岸+キャンプキンザー跡地利用の夢のある美しい街づくりに期待したい。



ベルリンのティーアガルテン(210ヘクタール)都市住宅地。国会議事堂・官庁街の近くにある



ニューヨーク・セントラルパーク(320ヘクタール)。マンハッタン島の高層ビル群の中央にある



中国長春の人民広場(直径300メートル)と人民大街。90年ほど前、日本人が都市計画した都市
(長春観光パンフ)



国際都市形成構想の際の沖縄チームが作成した沖縄中南部のグランドデザイン


ふくむら・しゅんじ
1953年滋賀県生まれ・関西大学建築学科大学院修了後、原広司+アトリエファイ建築研究所に勤務。97年teamDREAM設立。沖縄県平和祈念資料館、県総合福祉センター、沖縄県国際都市形成構想による基地跡地利用計画、普天間基地跡地計画他

毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1832号・2021年2月12日紙面から掲載

 

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