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2020年12月11日更新

米国民政府が作った沖縄の中央銀行|建築探訪PartⅡ

次世代に残したい沖縄の建造物の歴史的価値や魅力について、建築士の福村俊治さんがつづります。

米国民政府が作った沖縄の中央銀行

琉球銀行本店(那覇市) 
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琉球銀行は、琉球政府ができる前の1948年に米国民政府によって沖縄の中央銀行として金融政策を担うことを目的に設立された銀行で、資本金の51%を米国が出資し残りを公募した。当初本店は那覇市東町にあった本土銀行の廃屋を改修し1966年まで営業した。現建物は1964年に着工し66年に竣工したものだが、老朽、狭(きょう)隘(あい)化を理由に来年取り壊し、建て替えが予定されている。日本復帰前の米軍占領下の歴史を伝える建物が消えるのは残念だ。

この建物は1960年代のアメリカ現代建築を彷彿(ほうふつ)とさせる機能的合理的な感覚で設計されたアメリカ仕様の建物である。米国民政府と沖縄米国陸軍工兵隊の監理の下でアメリカのライアン設計事務所が設計し、国際入札の結果、地元の大城組が落札し施工した。当初は地下1階地上3階建てで、2年後に4階、5階を増築している。設計図はB1サイズの青焼き手書き図で、寸法はフィート・インチ、文字は英文で、すべての図面が細部まで描き込まれていた。



現在の琉球銀行本店ビルの外観(正面玄関部分は復帰後に増築された)



増築前の琉球銀行本店ビル



東町にあった旧琉球銀行本店ビル。RYUKYU(S)は琉球列島を意味する


機能と経済性を最優先

この建物には古い銀行建築の仰々しさや装飾もなく、米軍施設と同様に機能性と経済性が最優先されたシンプルな現代建築だった。プラン的には建物中央部に耐震壁に囲まれた階段・トイレ・エレベーター・ダクトスペースのコアがあり、その周囲に諸室が配置されていた。1階では柱のない広い窓口業務スペースを確保し、上階では諸室をフレキシブルに配置できるように、プレストレス工法を使ったフラットスラブ、つまり10インチ(25・4センチ)厚のスラブをピアノ線の撚(よ)り線によって緊張・強固にした梁(はり)のない構造だった。

一方、窓は全て小さく密閉。照明反射板と一体にデザインされた空調ダクトがスラブ下に露出で設置され、地下には広い機械・電気室があり、大きな自家発電機まで完備されていた。つまり、構造と設備が重視された建築で、階高は1階4・75メートル上階3・35メートルと一般の建物に比べて階高が数十センチ低いにもかかわらず、天井高さは1階で4・5メートル、上階で3・1メートルもあった。そして、資材の多くがアメリカ製であったことも興味深い。

そもそも建築はその地域と時代の文化・経済・技術・社会状況などが反映されて建物の形や空間が作られることが一般的で、街並みや建物がその都市の歴史を伝えるものだ。米国民政府の入った琉球政府ビルと泉崎交差点角にあったバンク・オブ・アメリカの建物、そしてこの琉球銀行本店ビルが復帰前の沖縄社会を象徴していた。そして時代が移り変わり、米軍占領下の記憶が残る建物が街から消えようとしている。建て替えられる建物のどこかに「米ドル時代の記憶」を残してもらいたいものだ。



5階にある役員応接室(天井部分は改装されている)



アメリカ・モスラー社製の大金庫の扉



当時沖縄にあったBANK OF AMERICA



米国民政府の入った琉球政府ビル





ふくむら・しゅんじ
1953年滋賀県生まれ・関西大学建築学科大学院終了後、原広司+アトリエファイ建築研究所に勤務。1990年空間計画VOYAGER、97年team DREAM設立。県平和祈念資料館、県総合福祉センター、那覇市役所銘苅庁舎ほか、個人住宅も手掛ける
 

毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1823号・2020年12月11日紙面から掲載

 

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