2020年7月31日更新
大切なのは過程。価値観の共有が鍵|「タイムス住宅新聞」創刊35周年特別対談
住まいづくりに欠かせない「パートナー探し」で大事なことは? タイムス住宅新聞の創刊に携わり、自身も2度の家づくりを経験した村吉則雄さんと、創刊当時から本紙と関わりの深い建築士の本庄正之さんが対談。住み手と造り手の意識の変化や関係性をひもとき、より良い住まいづくりのヒントを探ります。
大切なのは過程。価値観の共有が鍵|創刊35周年 特別対談
住まいづくりに欠かせない「パートナー探し」で大事なことは? タイムス住宅新聞の創刊に携わり、自身も2度の家づくりを経験した村吉則雄さんと、創刊当時から本紙と関わりの深い建築士の本庄正之さんが対談。住み手と造り手の意識の変化や関係性をひもとき、より良い住まいづくりのヒントを探ります。
“自分に合う”家づくり 問いかけたのが住宅新聞
ー工務店やハウスメーカーへの依頼が一般的な他府県と違い、沖縄に建築士との家づくりが根付いている理由は?
本庄 私が設計を始めた昭和53~54年ごろには既に、建築事務所に依頼するのは当たり前だった。ほとんどがコンクリートの流し込みで柱や梁を造り、コンクリートブロックで壁を造るラーメン構造。構造的に難しく、より専門的な知識が必要になるため、建築士の役割が重要になっていたのだと思う。また米軍基地内の工事は、エンジニア(構造)と造る側(設計、施工)など専門分野が分かれている。その流れもあるのではないか。
村吉 創刊前後は家づくりと言えばコンクリートが主流で、木造はニュースになるくらい珍しかった。「RC」と「建築士への依頼」はセットだった。
戦後、外人住宅が多く建てられた沖縄で、暑さや台風に耐える気候風土に適した建築の必要性が叫ばれていた。時代の流れもあったと思う。
ーそんな中、住宅新聞が創刊された。その意義は?
村吉 当時は建築のけの字も知らないまま取材をした。最初のころの「お住まい拝見」は、施主のコメントしか載せていない。思えば建築士をさほど高く評価していなかった。
建築士ってすごいなと思ったのは「こんなところに建つんだ」という家を取材してから。間口がわずか4㍍の細長い敷地に建てたり、崖地に建てたり。パターン化された間取りでもない。プロだからできるんだと改めて感じた。
本庄 それまでは周りを見たり人に聞いたりして家を建てていたけれど、「どういう家がいいか、自分に合うのか」と施主に投げかけたのが住宅新聞。設計側にも、個々の施主にあった家を提供するという思いが出てきた。
沖縄には住宅に特化した週刊の新聞があるというと、内地の人はびっくりする。
村吉 この建築士はこんな家を建てていますという情報を発信し、施主が自分に合う建築士を見つけるツールになっていた。今も「お住まい拝見」が続いているのは、そういうことでしょう。
ー35年前と比較し、施主と建築士、それぞれの意識や関係性はどう変わった?
村吉 創刊前に私が最初の家を建てたときは、たまたま近くに家を建てた人がいて、「じゃあ自分もそこに」という感じ。設計料を出すことすら知らなかった。みんなそんな感覚だったと思うよ。
本庄 私のところに来るのもほとんど親族や友人・知人の紹介。私がどんな家を造るのかも分かっていなかったでしょうね。施主が自分で書いた間取り図を持ってくるか、丸投げパターン。「おまかせしますから、上等な家をつくってください」と。
村吉 だから建築途中でも、変更が多かった。当時は知り合いまで「変更しなさい」と言ってくるわけよ。「こっちに水道必要よ」とか言われて施主と施工側が直接話をして直したりね。そんな時代だった。
本庄 昔の図面を見ると、完了検査後もかなり変更されていた。施主も設計も造る側もかなりおおらか。線がゆがもうがOK(笑)。今はわずかな変更でも法的な手続きを踏まないといけないから、設計変更のハードルが高い。そして施主も造り手も完璧さを求め、繊細さを求める。
また昔はハジカサーして建築士に自分の気持ちを言えなかった人も多かったが、今ははっきり伝える。情報も違うし、人の気質も変わってきた。
村吉 施主の住まいに対する意識も薄かったのでは? 自分を振り返ってもそうだが、家をよく使うのは奥さんの方で、夫はあまり住まいに関心がない。極端に言えば寝るだけ。なのに当時、家づくりの主体となっていたのは夫。
本庄 奥さんも言いたいことはたくさんあっても、言う場がなかったんでしょうね。
ただ「建築士に造ってもらう」意識だと、遠慮して言いたいことも言いにくいかもしれない。今は「自分でつくる」意識の施主が増え、関係もより対等になってきた。
「依頼先とは長い付き合いになる。だから話しやすい人がいい」
村吉 則雄さん
1950年石垣市生まれ。沖縄タイムス大百科事典刊行事務局を経て、タイムス住宅新聞の創刊に携わり、98年同社専務。2010~12年沖縄タイムスサービスセンター専務。その後17年から中城村護佐丸歴史資料図書館長を務め、今年3月退職。
子世帯だけでは限界 住み方、造り方の見直しも
ー情報があふれ、住まいも多様化する現代。家づくりの依頼先探しで重要なのは?
本庄 沖縄の住宅のイメージは変わってきている。かつては「台風に耐える骨太で、彫りの深い陰影を持ち、風景に溶け込むなじみ深さがあり、透かして閉じる奥ゆかしい家」だった。現在は「スタイリッシュで繊細な個性を表現する家」。人と違うことを求める風潮があるが、それがすべてではない。大切なのは家を造る過程だ。私の事務所にも「あなたのカラーは何ですか?」と尋ねてくる人がいるが、「カラーはない。あなたと話し、あなたらしい家を造ることが私の作風」と答える。
依頼者は建築事務所を訪ねてくる時点で「建築士との家づくり」を選択しているが、本当にそれでよいのか、よく考えたほうがいい。昔の「住宅双六」は、アパートに住み、マンションに住み、戸建て住宅を建ててあがりだったが、今は戸建てだけがあがりじゃない。選択肢がたくさんある。
村吉 戸建てを持つと、メンテナンスが面倒という声もある。うちの娘は、だからアパートやマンションの方が良いという。あるいは、どうしてもここに住みたいと立地にこだわりがある人もいる。でもそこに土地が無い場合、アパートやマンションに住む。
本庄 学生に質問したことがある。戸建てと集合住宅、どっちが豊かだと思うかって。学生は「戸建て」と言う。でも集合住宅も豊かなんですよ。戸建ては自分の世界をつくり、一国一城の主として生きていきたい人向け。集合住宅は周りと関わって生きていきたい人向け。どっちが豊かなのか?本当は戸建てにも周りと関われる工夫が必要だと思う。
◆ ◇ ◆
村吉 数年前に家を建て替えたが、お願いした建築士は前からよく知っている人。設計から施工管理まで、徹底して施主側に立ってくれるのも大きかった。建てた後は何十年も住むわけだから、建築士とはメンテナンスも含め長いつきあいになる。だから相性の良さ、話しやすさ、気が合うというのが大切だと思う。
本庄 依頼者と共に悩み考え、依頼者の悩みを自分事として捉えて専門家として解決していく姿勢があるか、同じ価値観でつくっていけるかが大事。話しやすいというのも、それにつながる。カタチは結果でしかない。例えば打ち放しの家がほしいという人には「なぜ?」と聞く。どんな生活をしたいから打ち放しなのか、何を良いと感じるか、そこが共有できないと難しい。
村吉 相手のどこが好きか嫌いかは感覚的なものだから、話してみないと分からない。見た目(作風)はきっかけ。
本庄 私と合うかどうかは私が設計した家の主と話すのが一番良さそう。でも実際は難しい。だから住宅新聞で読んで共有するわけですよ。どんなことで悩んで、どんな風に解決したのか。家づくりのプロセスを知る手がかりを住宅新聞が担っている。
ーこれからの家づくりに必要な視点は?
本庄 建築費とローンと収入がかみ合わなくなってきた今、核家族だけで家を造るには限界がある。家づくりへの思いはあり、ライフスタイルも確立しているとするならば、昔のように親や親族との関係性を取り戻してみてはどうか。
親の家と土地があるなら、増改築しながら同居したり、親は庭に小さな家を建て子は実家にとヤドカリのように住んだり。同じ敷地内に兄弟姉妹で別々にローンを組んで建てるとか。私の周りでもそういうケースが増えている。
村吉 ひところ注目されていたコーポラティブハウスは当時は広まらなかったが、今後は見直されてくるのでは?
本庄 親兄弟と住むのも一つのコーポラティブハウス。二世帯住宅というと昔は親が強かったが、今は実家の継ぎ手や改修に悩む親も多く、子との関係も変わってきている。
親子で取り組むのは家づくりの近道。そこに建築士が加わることで、今の時代やライフスタイルに合った住まいづくりが可能になると思う。
「依頼者の悩みを自分事と捉え、プロとして解決する姿勢が必要」
本庄 正之さん
1955年、石垣市生まれ金沢工業大学建築学科卒業後、環設計、観光企画設計社を経てアトリエNOA設立。沖縄県立武道館コンペ当選を機に92年、㈲アトリエ・ノアに組織変更し代表取締役に就任。現在に至る。寄宮中学校などの公共施設、多数の住宅建築に携わる。
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毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1804号・2020年7月31日紙面から掲載