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2020年5月22日更新
首里城直下の第32軍司令部壕の整備|私たちの首里城[2]
首里に生まれ育った昭和1桁生まれの吉田朝啓さんに首里城に対する思いや再建へのアイデアを寄せてもらった。
文/吉田朝啓さん(医学博士、首里まちづくり研究会顧問)
首里城直下の第32軍司令部壕の整備|私たちの首里城[2]
執筆者/医学博士、首里まちづくり研究会顧問 吉田朝啓さん
75年前の今頃、沖縄県内は軍事色に染まっていた。
学校や公共施設は軍隊に接収され、民間人や物資も軍隊に召し上げられて陣地構築や防空壕掘りに動員された。いたるところで殺気立ち、老若男女がまなじりを決して迫り来る戦争に身構えていた。
そして首里に陣取った日本陸軍・第32軍は牛島満司令官の指揮の下、中南部の丘に無数の壕を掘った。中でも首里城下には、1キロを超える地下壕を造った。
師範学校生徒による鉄血勤皇隊を中心に、朝鮮人軍夫などが昼夜兼行で突貫工事を行い、「第32軍司令部壕」をようやく完成させた。
だが、1カ月もたたぬうちに牛島司令官以下幕僚は南部に撤退。6月に自刃して果てた。
その地下壕は、その後、むなしく放置されたままである。
戦後、その地上に復元された首里城。世界遺産である園比屋武御嶽石門の後方にある「ハンタン山」にひっそりと残された廃虚まで足を運ぶ観光客は少なく、半ば満ち足りた気持ちになって次の観光地を求めて移動していく。
数百年の間、こつこつと築き上げられてきた琉球王国の文化の中心である首里城。その直下に、これまた国家権力の横暴によって構築された失政の象徴である第32軍司令部壕。平和の城と戦いの城。この対照的な史跡を見逃すことは得策ではない。この壕を放置せず、国の責任によって整備して「負の遺産」を明らかにするよう国に要求しようと、赤心に燃える人々によってさまざまな提案が寄せられている。
消火用水の導水路にも
中でも、大胆にして気宇壮大な案は「地下壕を大々的に整備すると同時に、城の北にある人工の池、龍潭の豊富な水を城郭内に導入して消火用水とするための導水路としても活用すること」。これである。
半年前に焼失した首里城を再びの火難から守るためにも壕を整備し、導水パイプなどを設置して利用するわけだ。地下壕の中央あたりから、真上にパイプを通せば正殿前の「御庭」に出る。御庭の地下に数万トンの貯水槽が構想できるし、消火用水だけでなく工夫次第では城郭内の潤沢な水扱いにも利用できる。さらに言えば、再び龍潭とともに地下水脈を養生することになり、その昔、龍潭を造ってほとりに木や花を植え、そこを太平の世の象徴として「安国山」と呼んだ琉球国の国相・懐帰の理想にも近づくのではないか。
再び「島しょ防衛」の名目で、列島に戦いの拠点を築こうとしている戦後生まれの政治家たちに対して、75年前の失敗策の後始末をしてから軍事基地の必要性を議論するように求める。
首里城公園の地下にある「第32軍司令部壕」。全長1キロ以上にも及ぶ壕。崩落が激しいことから、閉鎖されており内部に入ることはできない。保存や公開をめぐってさまざまな議論がなされている
よしだ・ちょうけい/1931年生まれ。那覇保健所や琉球衛生研究所、中央保健所などに勤め、県内の公衆衛生に寄与。現在は首里高校OBで構成する「養秀園芸サークル」の会長をするなど、地元首里の緑化に努める。
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1794号・2020年5月22日紙面から掲載