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2023年3月10日更新

故郷の建物・街が若者を育てる|学校校舎(沖縄県)[探訪PartⅡ(33)]

次世代に残したい沖縄の建造物の歴史的価値や魅力について、建築士の福村俊治さんがつづります。文・写真/福村俊治

故郷の建物・街が若者を育てる

学校校舎(沖縄県)

3月は卒業シーズン、先日県立K高校の娘の卒業式に参列した。最後に「仰げば尊し わが師の恩 教えの庭にも はや幾年・・ 今こそ別れめ いざさらば」の曲が流され、厳粛な雰囲気の中で卒業式が執り行われた。コロナ禍に翻(ほん)弄(ろう)された3年間だった。しかも校舎が建て替えということでプレハブ校舎での学校生活だった。一緒に学んだ学友と別れ、県内や本土の大学へ進学する旅立ちの時期であるが、将来、故郷の学舎の思い出が残ったかと私は危惧する。

沖縄は戦後、それも日本復帰後は目まぐるしく移り変わった。特に学校校舎などの公共施設は30年程で狭(きょう)隘(あい)・老朽化・耐震性不足などの理由で建て替えられ、都市化によって街の風景や自然も大きく様変わりしている。読者が暮らす住宅や学んだ校舎なども建て替えられ、暮らし遊んだ街や空き地も無くなっているのではないか。
 
大津の三井寺から望む市街地と琵琶湖。写真中央は築60年が過ぎた大津市立長等小学校校舎、2015年耐震補強と改修工事が施された。右下写真は運動会の様子。写真手前左の樹木は運動場の片隅にあるイチョウの木。筆者にとってはこの木の下にホームベースを置き、友達と野球をした懐かしい場所である(写真:三井寺パンフレット)



大津の三井寺から望む市街地と琵琶湖。写真中央は築60年が過ぎた大津市立長等小学校校舎、2015年耐震補強と改修工事が施された。右下写真は運動会の様子。写真手前左の樹木は運動場の片隅にあるイチョウの木。筆者にとってはこの木の下にホームベースを置き、友達と野球をした懐かしい場所である(写真:三井寺パンフレット)
大津の三井寺から望む市街地と琵琶湖。写真中央は築60年が過ぎた大津市立長等小学校校舎、2015年耐震補強と改修工事が施された。右下写真は運動会の様子。写真手前左の樹木は運動場の片隅にあるイチョウの木。筆者にとってはこの木の下にホームベースを置き、友達と野球をした懐かしい場所である(写真:三井寺パンフレット)

沖縄の一般的な小中高校の校舎は30年ほどで狭隘・老朽化・耐震不足を理由に建て替えられる。校舎と運動場が交互に建て替えられることが多い。写真は県立那覇高校で、1910年に県立中学分校として創立、19年第2中学校、49年那覇高等学校となった伝統校であるが、学校の敷地や校舎など学校全体が何度も様変わりしている(写真:google map、那覇出版『大那覇市』)沖縄の一般的な小中高校の校舎は30年ほどで狭隘・老朽化・耐震不足を理由に建て替えられる。校舎と運動場が交互に建て替えられることが多い。写真は県立那覇高校で、1910年に県立中学分校として創立、19年第2中学校、49年那覇高等学校となった伝統校であるが、学校の敷地や校舎など学校全体が何度も様変わりしている(写真:google map、那覇出版『大那覇市』)
沖縄の一般的な小中高校の校舎は30年ほどで狭隘・老朽化・耐震不足を理由に建て替えられる。校舎と運動場が交互に建て替えられることが多い。写真は県立那覇高校で、1910年に県立中学分校として創立、19年第2中学校、49年那覇高等学校となった伝統校であるが、学校の敷地や校舎など学校全体が何度も様変わりしている(写真:google map、那覇出版『大那覇市』)


私財で建築 東洋一の小学校

滋賀県出身の私の原風景は、生まれ育った大津の古寺三井寺から見える琵琶湖や眼下の疎水や小中学校校舎で、60年近く過ぎた現在でも形として残っている。琵琶湖の東に豊郷町という小さな町がある。この辺りは近江商人の発祥の地で、後に伊藤忠商事や丸紅などで活躍した豊郷出身の吉川鉄治郎は、仕事で訪れたアメリカでスタンフォード大学が個人の寄付で創立されたことやロックフェラー財団による若者や社会福祉のための活動を知った。帰国後1937年に、吉川は故郷の子供たちのために私財を投げ出して、東洋一の立派な鉄筋コンクリート造の小学校を豊郷町に寄付した。設計は宣教師として来日し近江八幡で活動していた建築家W・M・ヴォーリスに任せた。その後この学校からは多くの優秀な人材が育った。

2002年頃、老朽化と耐震性がないということで町役場は建て替えを計画したが、この小学校を守ろうと多くの卒業生や町民が立ち上がり保存されることになった。新校舎は隣接地に建設することにし、旧校舎は竣工後75年経て耐震補強改修工事をして、町の複合施設として活用することになった。そして「登録有形文化財」に登録され、今や観光客も訪れる名所となり、さまざまなテレビや映画のロケーションの場にもなっている。

故郷の建物や街が先人の歴史や文化を伝え、若者を育てる大切なものであることを現在の沖縄は忘れてはいないだろうか。

前述したスタンフォード大学は1891年、亡くした息子の名をつけ設立された大学だが、2005年の卒業式に招待された故スティーブ・ジョブズ氏は卒業する若者に対して「Stay Hungry, Stay Foolish(ハングリーであれ、愚か者であれ)」と有名なスピーチをしたことも追記しておきたい。=おわり
 
スタンフォード大学(正式名=リーランド・スタンフォード・ジュニア大学)。州知事・実業家スタンフォードが若くして急逝した一人息子をしのんで1891年創立した世界的名門大学。シリコンバレーの中心にあって多くの起業家を生む。写真建物はフーバータワー前のスタフォード・オーディトリウム。2005年S.ジョブズ氏が卒業スピーチ(下写真)した(写真:大学要覧より)
スタンフォード大学(正式名=リーランド・スタンフォード・ジュニア大学)。州知事・実業家スタンフォードが若くして急逝した一人息子をしのんで1891年創立した世界的名門大学。シリコンバレーの中心にあって多くの起業家を生む。写真建物はフーバータワー前のスタフォード・オーディトリウム。2005年S.ジョブズ氏が卒業スピーチ(下写真)した(写真:大学要覧より)
スタンフォード大学(正式名=リーランド・スタンフォード・ジュニア大学)。州知事・実業家スタンフォードが若くして急逝した一人息子をしのんで1891年創立した世界的名門大学。シリコンバレーの中心にあって多くの起業家を生む。写真建物はフーバータワー前のスタフォード・オーディトリウム。2005年S.ジョブズ氏が卒業スピーチ(下写真)した(写真:大学要覧より)

元豊郷(とよさと)小学校(築86年)。1937年卒業生の実業家・吉川鉄治郎(1880~1940)が私財で建設し寄付。設計は滋賀近江八幡在住の建築家W.M.ヴォーリス(1880~1964)。鉄筋コンクリート造で最新の暖房設備などが施され、「白亜の殿堂」や「東洋一の小学校」と呼ばれた。階段の手すりにはイソップ童話にある「ウサギとカメ」のブロンズ装飾がある(右下写真)
元豊郷(とよさと)小学校(築86年)。1937年卒業生の実業家・吉川鉄治郎(1880~1940)が私財で建設し寄付。設計は滋賀近江八幡在住の建築家W.M.ヴォーリス(1880~1964)。鉄筋コンクリート造で最新の暖房設備などが施され、「白亜の殿堂」や「東洋一の小学校」と呼ばれた。階段の手すりにはイソップ童話にある「ウサギとカメ」のブロンズ装飾がある(右下写真)
元豊郷(とよさと)小学校(築86年)。1937年卒業生の実業家・吉川鉄治郎(1880~1940)が私財で建設し寄付。設計は滋賀近江八幡在住の建築家W.M.ヴォーリス(1880~1964)。鉄筋コンクリート造で最新の暖房設備などが施され、「白亜の殿堂」や「東洋一の小学校」と呼ばれた。階段の手すりにはイソップ童話にある「ウサギとカメ」のブロンズ装飾がある(下写真)

[沖縄・建築探訪PartⅡ]福村俊治
ふくむら・しゅんじ 1953年滋賀県生まれ。関西大学建築学科大学院修了後、原広司+アトリエファイ建築研究所に勤務。1990年空間計画VOYAGER、1997年teamDREAM設立。沖縄県平和祈念資料館、沖縄県総合福祉センター、那覇市役所銘苅庁舎のほか、個人住宅などを手掛ける

毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1940号・2023年3月10日紙面から掲載

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