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2022年7月8日更新
[沖縄・建築探訪PartⅡ(25)]黒島研究所ほか(八重山郡竹富町黒島)
次世代に残したい沖縄の建造物の歴史的価値や魅力について、建築士の福村俊治さんがつづります。文・写真/福村俊治
沖縄を愛した建築家 清家清
黒島研究所ほか(八重山郡竹富町黒島)八重山に浮かぶ平らな島、黒島にこの海洋研究所がある。1975年に設立され主にウミガメの研究をしているが、黒島に住む動物や民具なども展示する小さな博物館&水族館である。この建物は鉄骨造のため経年劣化で少し痛々しい姿となっているが、多くの観光客が訪れる観光スポットになっている。
設計は清家(せいけ)清(きよし)。機能主義を追求した戦後日本で都市住宅のプロトタイプを作り出した著名な建築家だ。日本の伝統的モダン美の住宅設計として1950年「森博士の家」、52年「斎藤助教授の家」、54年「私の家」などの実績により、54年に日本建築学会作品賞を受賞した。また、博学で多彩な趣味の持ち主で、コーヒーのテレビCM「違いがわかる男」で一世を風靡(ふうび)し、誰もが知る建築家でもあった。
その清家清は沖縄と深い縁があった。祖父は灯台技師で、明治時代に伊江島や那覇の灯台を造るために家族と沖縄に住み、父・正は一中(現・首里高校)で2年間学んだこともあって、清家自身、沖縄を第2の故郷と思っていたようだ。
清家は1918年京都で生まれ神戸で育つ。41年東京美術学校(現・東京芸術大)43年東京工業大を卒業後従軍、戦後東工大の建築学科の助手になる。何事にも興味を持つ性格で、若い頃は海外の建築をよく見に行った。ヨーロッパではイタリア製スクーター・ランブレッタで各国を回り、それを持ち帰り国内でも使った。また、自宅敷地内に鉄道車両を持ちこむなど建築以外のエピソードも多い。
「黒島研究所」1974年竣工。小さな離島で建築資材の運搬の問題があり、鉄骨プレハブ造になったと思われる。床を地上面から持ち上げ、屋根はフラットルーフにしたシンプルな構造。壁はコンクリートブロックや花ブロックを採用した。(同研究所HPより)
内部の展示状況。(黒島研究所HPより)
沖縄の厳しい塩害環境には耐えきれず、サビなどが出ている。
沖縄の建築教育に貢献
有名人になった後も琉球大学農家政工学部住居学の非常勤講師として、東京からはるばる沖縄に来て集中講義をした。その間に建築家森京介の紹介で清家を知っていた地元建築家仲宗根宗誠やその仲間が沖縄のさまざまな所を案内し、酒が弱いにも関わらず毎夜建築談義を繰り返し親交を持った。ある時、清家の父・正への土産に懐かしい首里の「のまんじゅう」を持ち帰ったこともあった。
1978年琉球大学理工学部に建設工学科がつくられる際、教授になる予定だった。ある事情で東京芸大の教授になったが、その後も集中講義を続け学生を指導した。また、東工大での教え子の建築家・仙田満や福島駿介、東京芸大での教え子の小倉暢之など若手建築研究者を琉大に送りこみ、沖縄での建築教育の基礎づくりに貢献した。
実は私たちも清家先生にお世話になった。1997年糸満摩文仁の沖縄県平和祈念資料館の設計競技(審査委員長清家清)で、毅然(きぜん)とした現代建築案が多い中、同心円状の赤瓦屋根群が平和の礎を囲む私たちの案を評価してくださったのは清家先生だったと竣工後に聞いた。
「私の家」1954年竣工。戦後、個室のある住宅が主流になる中で、日本の伝統的木造住宅に似たワンルームのモダン小住宅を提案。大きな開口で庭と連続。床は鉄平石敷、天井はRC打ち放し、内部の壁は人研ぎ仕上げ。開放的な空間構成は沖縄の伝統的木造住宅にどこか似ている。
「私の家」配置図&平面図と外観写真。RC造平屋(5×10m)で地下に倉庫がある。延べ床面積は50平方メートル、地下20平方メートル。室内はワンルームの中にバスルーム、キッチン、リビング、書斎、寝室がドアなしで配置されている。常に家族の気配を感じられる家をよしとした。庭は室内と一体になり活用された。(岩田厚建築設計事務所・NHKアーカイブスより)
「私の家」配置図&平面図と外観写真。RC造平屋(5×10m)で地下に倉庫がある。延べ床面積は50平方メートル、地下20平方メートル。室内はワンルームの中にバスルーム、キッチン、リビング、書斎、寝室がドアなしで配置されている。常に家族の気配を感じられる家をよしとした。庭は室内と一体になり活用された。(岩田厚建築設計事務所・NHKアーカイブスより)
ふくむら・しゅんじ 1953年滋賀県生まれ。関西大学建築学科大学院修了後、原広司+アトリエファイ建築研究所に勤務。1990年空間計画VOYAGER、1997年teamDREAM設立。沖縄県平和祈念資料館、沖縄県総合福祉センター、那覇市役所銘苅庁舎のほか、個人住宅などを手掛ける
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1905号・2022年7月8日紙面から掲載
第1905号・2022年7月8日紙面から掲載