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2022年1月14日更新

[沖縄・建築探訪PartⅡ⑲]日本復帰50周年の沖縄の建築と街

次世代に残したい沖縄の建造物の歴史的価値や魅力について、建築士の福村俊治さんがつづります。文・写真/福村俊治

日本復帰50周年の沖縄の建築と街

那覇市民会館 沖縄初の多目的ホールとして1967年コンペで、現代建築設計事務所 金城俊光・金城信吉案が選ばれ、1970年竣工。伝統的表現と近代建築の融合。老朽化が進んでいるが、新たな手法で構造補強や機能変更による保存・改修・再生・活用が可能だと考える。
那覇市民会館 沖縄初の多目的ホールとして1967年コンペで、現代建築設計事務所 金城俊光・金城信吉案が選ばれ、1970年竣工。伝統的表現と近代建築の融合。老朽化が進んでいるが、新たな手法で構造補強や機能変更による保存・改修・再生・活用が可能だと考える。



那覇市民会館(那覇市)

今年は沖縄が日本復帰して50周年の記念すべき年、そして沖縄戦が終わって77年がたつ。

一般的に街や建造物を見ればその地域の歴史文化や政治経済、社会状況がわかる。沖縄は、不幸にして沖縄戦で多くの命と琉球王国の歴史文化を伝える建造物や集落を失った。その後の首里城復元やその他の城跡の復元は、多くの県民に沖縄のアイデンティティーと大きな歓喜を与えた。火災で首里城を失った喪失感は大きかった。それほど時代を代表する歴史的建造物の存在は大きな意味がある。

琉球政府ビル 1953年竣工、設計松田軍平。1・2階琉球政府、3・4階に米国民政府が沖縄統治の拠点とした。1990年の取り壊しまで沖縄県庁。立法院 1954年竣工。設計大城龍太郎。沖縄の民意と政治活動の中心的建物。1999年取り壊し。その他琉球政府ビル周辺の航空写真。写真は米国民政府によるプロパガンダを目的とした写真月刊誌「守礼の光」1965年6月号の表紙より。
琉球政府ビル 1953年竣工、設計松田軍平。1・2階琉球政府、3・4階に米国民政府が沖縄統治の拠点とした。1990年の取り壊しまで沖縄県庁。立法院 1954年竣工。設計大城龍太郎。沖縄の民意と政治活動の中心的建物。1999年取り壊し。その他琉球政府ビル周辺の航空写真。写真は米国民政府によるプロパガンダを目的とした写真月刊誌「守礼の光」1965年6月号の表紙より。
 
沖縄少年会館 1966年竣工。設計宮里栄一建築事務所・仲宗根宗誠。軍政下での子供の教育未整備の中で、沖縄子供を守る会(初代会長屋良朝苗)が県内外から募金を集め、善意でできた「夢の殿堂」。
沖縄少年会館 1966年竣工。設計宮里栄一建築事務所・仲宗根宗誠。軍政下での子供の教育未整備の中で、沖縄子供を守る会(初代会長屋良朝苗)が県内外から募金を集め、善意でできた「夢の殿堂」。

ドイツ国会議事堂(通称ライヒスターク) ドイツ帝国議会議事堂として1882年コンペで選ばれ1894年竣工。設計パウル・ヴィロット。1933年失火により全焼。その後1943年のベルリン空襲で壁面のみ残し半壊。1992年修復コンペで、外国人、イギリスのノーマン・フォスター案が選ばれる。ドイツ再統一のシンボルとして1999年に竣工。
ドイツ国会議事堂(通称ライヒスターク) ドイツ帝国議会議事堂として1882年コンペで選ばれ1894年竣工。設計パウル・ヴィロット。1933年失火により全焼。その後1943年のベルリン空襲で壁面のみ残し半壊。1992年修復コンペで、外国人、イギリスのノーマン・フォスター案が選ばれる。ドイツ再統一のシンボルとして1999年に竣工。


残し活用する工夫に欠け

ところで、沖縄戦以前と復帰の間には、27年間の米軍支配下の抑圧された時代があった。つまり日本でもアメリカでも琉球王国でもなく、民主主義も自治もない沖縄の苦悩の時代だ。その時代を表す歴史的建造物、例えば琉球政府行政ビル、立法院、武徳殿や沖縄少年会館なども狭小・老朽化を理由に取り壊された。そして今、与儀公園とともに復帰運動の拠点だった那覇市民会館(1970年竣工)も取り壊されようとしている。1972年5月15日、ここで返還式典が東京の武道館と同時開催された。また成人式やさまざまな催し物会場として県民にとって思い出深い建物でもある。最近、琉球銀行本店や沖縄県教育会館も取り壊され、この那覇市民会館を失えば米軍支配下の復帰前の歴史を伝える建造物はなくなってしまう。2003年には近代建築の記録と保存を目的とする国際学術組織のドコモモジャパンから日本の歴史的重要建造物に選ばれた。

このように沖縄では復帰後、建物の老朽化・狭小化・機能性・耐震性などを理由にいとも簡単に建造物が壊され、スクラップ・アンド・ビルドが続いている。そこには街や建物が歴史文化を伝えるという視点や、建物を長持ちさせ、新たな保存・改修・活用方法を検討するという知恵や工夫が抜けていた。

ドイツの国会議事堂は、かつてドイツ帝国議事堂として1894年にできた建物だが、1933年の火災、そして第2次世界大戦のベルリン大空襲によって外壁のみを残し長く放置されていた。しかし東西ドイツが統合され、国会議事堂として再生された。単にドイツ議会の機能だけでなく、第2次世界大戦、東西ドイツの分断の歴史を伝える建物、そして、太陽光や再生エネルギーや地下熱などを使う最新のエコな建物として再生されたことは、政治や建築界で有名な話である。また、屋上にはベルリンの街を展望できるガラスのドームがあり、多くの観光客が訪れる観光地になっている。

再度、世界中の専門家の新たな知恵とアイデアを借りて、復帰前の沖縄の歴史を伝える那覇市民会館の再生を考えるべきだ。

[沖縄・建築探訪PartⅡ]福村俊治
ふくむら・しゅんじ 1953年滋賀県生まれ。関西大学建築学科大学院修了後、原広司+アトリエファイ建築研究所に勤務。1990年空間計画VOYAGER、1997年teamDREAM設立。沖縄県平和祈念資料館、沖縄県総合福祉センター、那覇市役所銘苅庁舎のほか、個人住宅などを手掛ける
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1880号・2022年1月14日紙面から掲載

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