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2020年10月23日更新

首里城に半生を重ねて 歴史ドラマの舞台|私たちの首里城[7]

首里で生まれ育ち、首里城を訪れる観光客らを見守る幸喜徳子さんに首里城に対する思いを寄せてもらった。
文・写真 幸喜 徳子

首里城に半生を重ねて 歴史ドラマの舞台|私たちの首里城[7]

沖縄石油ガス㈱ 代表取締役会長 幸喜 徳子さん



首里城の西の物見台からの眺め。母・大村廣子はこの景色を見て、「首里城 頂上登て おし下り見れば 慶良間島影も 手とて見ゆさ(すいぐしく ちじぬぶてぃ うしくだいみりば きらましまかじん てぃとてみゆさ)」と琉歌を歌った


首里城近くに住み始めたのは、戦後間もなく4歳の頃。あちこちにあった艦砲射撃の着弾跡は大きな水たまりとなり、子どもには池のように見えました。廃虚となった首里城近辺、守礼門や現在の首里杜館(すいむいかん)の辺りは私たちの遊び場でした。高校卒業後は、首里城跡に設置された琉球大学で学びました。職業人を経て家庭を持ち、遊び場、学び舎でもあった首里城近くに住まいを求めたのです。

1992年に首里城が再建され、初めてその美しい姿を見た感動は言葉に尽くせないほどでした。青空に映える赤瓦としっくいの屋根、鮮やかな朱色の建物に目を奪われ、唐破風の正殿屋根の形など独特で威厳を感じました。龍の装飾も印象的。目をかっと見開き、長い牙も恐ろしげで、今にも躍りかからんばかりの形相を見るたび、テレビドラマ「テンペスト」で勇壮な龍が首里城を駆け巡る場面を連想したものです。

正殿前の御庭(うなー)で昔の行事が再現される様子も格調高く、衣装、髪形も王朝時代そのままに再現され、大航海時代の琉球にタイムスリップしたかのよう。若い頃に首里城王家の世継ぎをテーマにした劇で王妃役を演じた時に、昔は何と気品に満ちた言葉遣いだったのかと感じたことが思い出されます。みやびやかな式典は今後も保存継承し、目で見る琉球歴史として広く公開してほしい行事です。

別名「赤田御門(うじょう)」とも呼ばれる継世門では、男女のままならぬ会瀬を嘆いた琉歌が歌われるなど、さまざまなドラマが繰り広げられた歴史の舞台、首里城への興味は尽きません。

物見台から平和願う

琉球王国を知ってほしいと、海外や本土の友人らに首里城の絵はがきを送り自慢したものです。オランダの友人の自宅に招待された際、絵はがきと城間紅型のハンカチを贈呈しました。それをきっかけに彼女は、「沖縄で本物を見たい」と翌月来県、わが家にホームステイしました。彼女は首里城の美しさと共に琉球文化にも関心を深めてくれ、うれしい限りでした。

首里城は早朝から修学旅行生や観光客がめじろ押し。散歩中、撮影を頼まれるのはいつものことでした。入域客数がハワイを超したとのニュースも県民の心を明るくしてくれました。ところが突然の火災。燃え盛る炎や噴き上がる黒煙を目の当たりに、ぼうぜん自失の状態でした。幸い現在は復旧工事が着々と進んでいる様子です。

西の物見台辺りは私の好きなスポットです=上写真。早朝の太陽に輝く那覇から慶良間諸島、東シナ海の景色は息をのむほど。学生時代はこの辺りから同じ景色を眺め、海外を駆け巡る夢を育んだものです。古(いにしえ)の人々もこの場所からニライカナイに世果報(ゆがふ)を念じていたのでしょう。時々やんちゃな孫たちにせがまれ城内を散歩しますが、もはや彼らの足にはかないません。この子らの未来がいつまでも平和な世であるよう願うばかりです。


こうき・のりこ/1943年生まれ。中学高校時代を除き首里で暮らす。大学卒業後は国際線の客室乗務員として世界を回った。2016年より現職
 
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1816号・2020年10月23日紙面から掲載

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