建築
2019年4月19日更新
中心地と郊外で違う街並み|ロンドン住まい探訪[1]
文・比嘉俊一
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イーストロンドンでの大学時代①
ロンドンから帰国して、およそ8年。近年Brexit(ブレグジット)で議会が揺れに揺れているが、17世紀のロンドン大火、20世紀の戦争を乗り越えた街並み(特にロンドン中心部)は重厚感たっぷりに何年たっても変わらない美しさを感じさせ、同時に20代半ばから30代前半までロンドンで暮らしていた当時の記憶を思い出させてくれる。
このコーナーでは、建物・街並みがダイナミックに更新されていく日本とは異なる英国(主にロンドン)での暮らしを思い起こし考察してみることで、日々の生活を考える視点に何かを加えられたらと思う。私の在英期間は2005年から11年の約7年間であり、主に05年~07年のイーストロンドン時代(大学所属時)と07年~11年のノースロンドン時代(設計事務所勤務時)があった。この二つの時期を複数回に分けて振り返っていきたい。
住まい失いホームステイ
イーストロンドン大学での学生生活は、入国前に予約していた学生寮に住めなくなるという、住まいを失うところから始まった。拙い英語力で交渉してもどうにかなるはずもなく、大学側に指定された大学近郊の住宅に数週間ホームステイしつつ新しい住まいを探すことになった。
ホームステイ先の町はロンドン中心部から地下鉄で30分程度、大学からは地下鉄とモノレールを乗り継ぎ1時間程度離れていたが、目に映るロンドンの景色、特に煙突のついたれんが造りの建物が連なる街並み、モノレールから見える再開発地区のモダンな高層ビル群の風景、中心部の重厚な石造りの街並みは多彩で、眺めているだけで楽しく多少の不便さは全く気にならなかった。地下鉄、モノレール利用者の人種も多様で、自分がマイノリティーだと感じることは少なかったように思う。
一面ピンクの手狭な部屋
滞在先のご家族は留学生に慣れており気さくで、英会話上達の面で助けられた。建物も日本と異なる内開きの玄関扉、アンティーク調の金具など多くのことが目新しく映り、カーペットが敷き詰められた室内を靴履きで歩く初めての感覚は新鮮だった。ただ私の部屋は、以前はご家族の娘が住んでいたのであろうか、一面ピンク色の壁で落ち着かず、そして何より手狭だったため、一日も早く住まいを見つける必要性を感じさせられた。とはいえ、味気ない学生寮に住むこともなくなり、一定期間のすみかを確保できた安堵感、これから始まるロンドンでの新生活への期待感―なんくるないさ、ホームステイ初日から驚くほどぐっすり眠れた。
案内された部屋は一面ピンクに塗装され、広さは4帖程度と建築系の学生には狭過ぎた
日替わり定食のような冷凍食品の夕食は正直なところあまり口に合わなかった。だが、後にイギリスの冷凍食品の幅広さを知り、大いに活用することになった
ひが・しゅんいち/1980年生まれ。読谷村出身。琉球大学工学部卒業後、2005年に渡英。ロンドンでの大学、設計事務所勤務を経て、16年に建築設計事務所アトリエセグエを設立。住み継がれる建築を目指す
ロンドンから帰国して、およそ8年。近年Brexit(ブレグジット)で議会が揺れに揺れているが、17世紀のロンドン大火、20世紀の戦争を乗り越えた街並み(特にロンドン中心部)は重厚感たっぷりに何年たっても変わらない美しさを感じさせ、同時に20代半ばから30代前半までロンドンで暮らしていた当時の記憶を思い出させてくれる。
このコーナーでは、建物・街並みがダイナミックに更新されていく日本とは異なる英国(主にロンドン)での暮らしを思い起こし考察してみることで、日々の生活を考える視点に何かを加えられたらと思う。私の在英期間は2005年から11年の約7年間であり、主に05年~07年のイーストロンドン時代(大学所属時)と07年~11年のノースロンドン時代(設計事務所勤務時)があった。この二つの時期を複数回に分けて振り返っていきたい。
ロンドンには、都心部に「セントラルロンドン」と呼ばれる政治・経済の中心地があり、さらに広域の周辺市街地を加えた「グレーターロンドン」と呼ばれる地域が広がる
住まい失いホームステイ
イーストロンドン大学での学生生活は、入国前に予約していた学生寮に住めなくなるという、住まいを失うところから始まった。拙い英語力で交渉してもどうにかなるはずもなく、大学側に指定された大学近郊の住宅に数週間ホームステイしつつ新しい住まいを探すことになった。
ホームステイ先の町はロンドン中心部から地下鉄で30分程度、大学からは地下鉄とモノレールを乗り継ぎ1時間程度離れていたが、目に映るロンドンの景色、特に煙突のついたれんが造りの建物が連なる街並み、モノレールから見える再開発地区のモダンな高層ビル群の風景、中心部の重厚な石造りの街並みは多彩で、眺めているだけで楽しく多少の不便さは全く気にならなかった。地下鉄、モノレール利用者の人種も多様で、自分がマイノリティーだと感じることは少なかったように思う。
一面ピンクの手狭な部屋
滞在先のご家族は留学生に慣れており気さくで、英会話上達の面で助けられた。建物も日本と異なる内開きの玄関扉、アンティーク調の金具など多くのことが目新しく映り、カーペットが敷き詰められた室内を靴履きで歩く初めての感覚は新鮮だった。ただ私の部屋は、以前はご家族の娘が住んでいたのであろうか、一面ピンク色の壁で落ち着かず、そして何より手狭だったため、一日も早く住まいを見つける必要性を感じさせられた。とはいえ、味気ない学生寮に住むこともなくなり、一定期間のすみかを確保できた安堵感、これから始まるロンドンでの新生活への期待感―なんくるないさ、ホームステイ初日から驚くほどぐっすり眠れた。
案内された部屋は一面ピンクに塗装され、広さは4帖程度と建築系の学生には狭過ぎた
日替わり定食のような冷凍食品の夕食は正直なところあまり口に合わなかった。だが、後にイギリスの冷凍食品の幅広さを知り、大いに活用することになった
ひが・しゅんいち/1980年生まれ。読谷村出身。琉球大学工学部卒業後、2005年に渡英。ロンドンでの大学、設計事務所勤務を経て、16年に建築設計事務所アトリエセグエを設立。住み継がれる建築を目指す
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1737号・2019年4月19日紙面から掲載
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