理想の暮らし取り戻す森の家(今帰仁村)|オキナワンダーランド[18]|タイムス住宅新聞社ウェブマガジン

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2017年9月15日更新

理想の暮らし取り戻す森の家(今帰仁村)|オキナワンダーランド[18]

沖縄の豊かな創造性の土壌から生まれた魔法のような魅力に満ちた建築と風景のものがたりを、馬渕和香さんが紹介します。

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相原さんの家(今帰仁村)


6年前に沖縄に移り住んだ相原義雄さん、貴子さん夫妻は、東日本大震災によって奪われた理想の暮らしを、今帰仁村の森でもう一度取り戻そうとしている


バラ色に見えていた暮らしが、一瞬にして灰色に変わった。まるで舟が波に揺れるように、大地が揺れたあの日に。

「ゆーらゆーらゆーらと、舟が揺れるように揺れたの」

6年前の3月11日、北関東の益子町に、春の足音はまだ聞こえていなかった。空はどんよりと曇り、冷たい北風が吹いていた。相原貴子さんは、薪ストーブで暖をとりながら、もうすぐ畑に植え付けをするジャガイモの種の選別をしていた。

「あの日は、畑のことや何やかやで頭がいっぱいだったね」

町のはずれの「ムーミン谷のような」山のなかに、素朴な木の家を建てて住み始めたのは、その14年前。元公務員の夫、義雄さんとともに、自家用野菜を育て、にわとりやヤギを飼い、手つむぎの糸で機織りをする自給自足の暮らしに、貴子さんは心から満足していた。

「バラ色の空気に包まれていたね。家も、周りの風景も」

ところが、未曽有の大地震によって、そう遠くはない場所で原発事故が起きたことを知った瞬間、バラ色は灰色に変わった。

「原発の映像をテレビで見た瞬間に、急にグレーになったね。『ああ、ここでの暮らしはもう終わりかな』って思ったの」

テレビでは、肺の病気や糖尿病の人は少しでも遠くへ逃げた方がいいと専門家が話していた。

「うちだわ!」

義雄さんは、前年に肺の手術をしたばかり。貴子さん自身も糖尿病だった。「被爆して命を縮めるなんて嫌だ」。貴子さんは、「一人で逃げて」と言う義雄さんを説得して、「遠い遠い場所」だった沖縄に、一生乗ることはないと思っていた飛行機に乗って逃げた。「命の次に大切な」あるものをリュックに詰め込んで。

「何十年も前から自家採種してきた野菜の種を背負って逃げたの。益子の暮らしが一番自分に合っていたから、沖縄でも同じ暮らしがしたかった」

震災の日から緊張の連続に耐えてきた義雄さんと貴子さんを、沖縄はやさしく迎えた。 

「那覇空港からバスに乗って、最初に目に映ったのは黄色い花だった。内地ではとんでもないことが起きているのに、沖縄では花が咲いていて、心地よい風が吹いていて、『なんだろう、この幸せ感は』と思ったね」

出会った人から受けた数々の親切も、疲れた心と体に染みた。「ここまで来たらもう大丈夫」と抱きしめてくれた宿の女性。「食事代はいいから」と代金を受け取らなかった飲食店の人。今住んでいる家も、役場や地域の人たちが、二人の境遇を気の毒に思い、親身になって探してくれたから見つかった。

それから6年。「益子の森とそっくり」の今帰仁の森にすっぽりと包まれて、「根っから好きな」畑仕事をしながら暮らす日々だ。

「ここに来た当初はね、益子にまだ私の分身がいるような気がして、バカみたいに泣いたことも多かった。でも、今はもう、私はあそこにいないなと思う」

沖縄の南国の空気のせいか、「それとも年のせいか」、くよくよすることは減った。でも、ときどき過去を振り返ってしまう。

「人間は過去を懐かしむ動物だって言葉があるじゃない」

理想の暮らしを奪われた喪失感は、今も胸の奥にとげのように突き刺さったままだ。それでも二人は、沖縄のこの森で、再び前を向いて生きてゆこうとしている。



「たきぎごや」と名付けた庭の離れは貴子さんのお気に入りの場所。小学生の頃、おこづかいで花を買っては勉強机に飾ったという貴子さんの美意識が感じられるかわいらしい空間だ


「東南アジアっぽい半屋外の建物を建てて、そこを台所にするのが夢だったの」と貴子さん。母屋にも台所はあるが、ご飯を炊くのは小屋の薪のかまど。「薪火で炊くのは30年前から続けてる。昔の暮らしが好きなのよ」


小屋の外観。周囲は見渡す限り森だ。「ここは益子の沖縄版みたいな所よ」。ここから坂を下りた所に広大な畑を持っていて、自家用野菜やバナナを育てている。「バナナの葉が風に揺れるのを見るのが好きだから」


義雄さんは沖縄に来てからリウマチを発症し、歩行が不自由になった。「益子の山が懐かしくなることもあるよ。でも、沖縄は気候がいいね」。動物が大好きな義雄さんの足元で、愛猫のすみれちゃんがくつろいでいた


オキナワンダーランド 魅惑の建築、魔法の風景




[文・写真]
馬渕和香(まぶち・わか)
ライター。元共同通信社英文記者。沖縄の風景と、そこに生きる人びとの心の風景を言葉の“絵の具”で描くことをテーマにコラムなどを執筆。主な連載に「沖縄建築パラダイス」、「蓬莱島―オキナワ―の誘惑」(いずれも朝日新聞デジタル)がある。


『週刊タイムス住宅新聞』オキナワンダーランド 魅惑の建築、魔法の風景<18>
第1654号 2017年9月15日掲載

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