石の家に息づく70年前の美術村(那覇市)|オキナワンダーランド[17]|タイムス住宅新聞社ウェブマガジン

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2017年8月18日更新

石の家に息づく70年前の美術村(那覇市)|オキナワンダーランド[17]

沖縄の豊かな創造性の土壌から生まれた魔法のような魅力に満ちた建築と風景のものがたりを、馬渕和香さんが紹介します。

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ニシムイ美術村
山元恵一邸(那覇市)


戦後間もない頃、首里の高台に8人の画家たちが築いたニシムイ美術村。山元恵一邸は、かつてそこに芸術家たちの共同体が存在したことを歴史の証人として語り続ける


沖縄のどこにでもある、ありふれた石がこの家を守ってきた。情け容赦ない破壊力で何度も襲いかかって来た台風から。そして、朽ちて壊されるという、多くの家々がたどった運命から。

「石があったから、ですよ。石があったから、ここを残そうと決心することができたんです」

今年カジマヤーを迎えるとはとても思えないつややかな顔に、慈母のような優しい笑みを浮かべて、山元文子さんが語る。

今は離れとして使っている石造りの建物は、亡き夫で画家の恵一さんや子どもたちと暮らした思い出深い場所。だが、しばらく前から老朽化による雨漏りや床の傷みが手に負えなくなっていた。壊すのか、残すのか。家族の心は揺れた。築68年になる建物の改修を決意した数年前を、次男の正造さんが振り返る。

「屋根も床もボロボロで、壊すことも考えました。それでも残すことに踏み切ったのは、石壁が、建てた時のままのきれいな状態で残っていたからです」

いわば、石壁が家を守った。そうであるようにと、およそ70年前、恵一さんが願ったように。

時は、沖縄戦の数年後にさかのぼる。首里城の北の「ニシムイ」と呼ばれる地区に、8人の画家たちが共同で美術村を築いた。恵一さんは、その一人だった。

「当時は草ぼうぼうで、なんにもない所でした。チリ捨て場があって、たまにエンジンとか、上等なチリも捨てられていたから、取りに来る人もいました」

「物忘れがひどくて」と謙遜しながら、文子さんが驚くほどの記憶力で当時を回想する。

妻子を連れて美術村に移り住んだ恵一さんは、仲間の画家たちと肩を寄せ合うようにアトリエ付きの住居を構えた。だが不運なことに、リビー、グロリアと猛烈な台風に立て続けに見舞われて、わずか1年で家は全壊。一からつくり直すことになった。

台風に強い恒久的な建物をつくってほしいと、恵一さんは建築家の仲座久雄氏に頼んだ。仲座氏はその時のことをこう記している。

「相談がありましたので私の主張する首里周邊(しゅうへん)に澤山(たくさん)ある野石積にしたらと申したら、氏は心よく承諾され(た)」(原文引用)

さっそく恵一さんは、材料となる石を調達し始めた。文子さんによれば、こんな方法で。

「近くの家の石垣を買ったの。小さい石は近所の子どもたちにそのへんの石を集めてもらって」

こうして集めた約2万個の石を積んで壁にし、シンプルな屋根をのせて新居が出来上がった。台風で吹き飛ぶ心配のないアトリエで、恵一さんは日夜、週末ごとに美術村にやって来るアメリカ人に売るための絵やはがきを描いた。文子さんも、織物の仕事をして家計を支えた。ゴツゴツした岩肌がむき出しになった石の家は人々に珍しがられ、本土から見に来る人もいたほどだったが、特別な家に住んでいるという実感は家族にはなかった。

「当時は、道端に落ちた板きれやげたを拾って薪(まき)にした時代よ。食べるだけで、もう精いっぱい」

生きるのに精いっぱいだった時代にあっても、恵一さんや仲間たちは絵筆を持ち続けた。渾身(こんしん)の力を振り絞って、戦後の沖縄美術の礎(いしずえ)となる作品を多く生み出した。ニシムイ美術村は、何十年も前に消滅した。しかし、不屈の心で芸術の道を歩んだ彼らの足跡は、朽ちることのない山元邸の石壁に今も息づいている。



恵一さんが創作にいそしんだ部屋。石積みの壁は、「すきま風が入るし、見た目も恥ずかしい」という理由で何十年も木の壁で覆われていたが、数年前の改修工事で元の姿に復元された


この家で生まれ育った正造さんは、改修工事で木の壁が外された時に初めて石壁を見た。「石の壁というのは趣があってすてきだなと思いました」。写真は父の恵一さん。風貌から「ガンジー」というあだ名で呼ばれていた


「『中をのぞくと絵を描いている人がいて、ピアノが置いてあって、まるで別世界だったよ』とか、『ここだけオーラがかかっていたよ』と、家にまつわる思い出話をしてくれる人もいます」と、正造さんの妻のあきみさん


恵一さんのほか、名渡山愛順氏や玉那覇正吉氏ら、戦後の沖縄美術を牽引(けんいん)した芸術家を輩出したニシムイ美術村は、現在、閑静な住宅地になっている。その一角に美術村の歴史を伝える小さな公園が整備されている


オキナワンダーランド 魅惑の建築、魔法の風景



オキナワンダーランド|馬渕和香さん
[文・写真]
馬渕和香(まぶち・わか)
ライター。元共同通信社英文記者。沖縄の風景と、そこに生きる人びとの心の風景を言葉の“絵の具”で描くことをテーマにコラムなどを執筆。主な連載に「沖縄建築パラダイス」、「蓬莱島―オキナワ―の誘惑」(いずれも朝日新聞デジタル)がある。


『週刊タイムス住宅新聞』オキナワンダーランド 魅惑の建築、魔法の風景<17>
第1650号 2017年8月18日掲載

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