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2026年1月4日更新

首里城から中城御殿、現代の空間へ 沖縄の琉球風水師が読み解く、理(ことわり)と美の風水史

2026年、首里城正殿と中城御殿(なかぐしくうどぅん)が一般公開される。「王朝時代の風水思想によって生み出された景観美が再びよみがえる年。琉球王国が大切にしてきた『自然と共に生きる知恵』を読み解く鍵は、王城空間から現代のテーブルまでを貫く“琉球風水”」と語るのは琉球風水師の東道里璃さん。再建が進む首里城の風水景観は何を語りかけているのか。世子の住まい・中城御殿はなぜ移築されたのか。そこに息づく自然観や精神文化とは—。さらに沖縄の文化を暮らしに取り入れるための考え方を、東道さんがひも解き、解説する(文・写真/東道里璃)

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東道里璃
とうどう・りり/琉球風水・環境地理学の研究者。沖縄国際大学非常勤講師。異文化コミュニケーション学修士。首里城・中城御殿を中心に、近世琉球の風水思想と自然環境に基づくランドスケープデザインを研究。著書『風水空間デザインの教科書』
 



自然が護る首里城の風水

沖縄への風水伝来は14世紀ごろ。中国からの移民である久米36姓によってもたらされた。琉球王国の国家政策として用いられるのは18~19世紀。王府の歴史編纂(へんさん)書『球陽』に、当時の風水看であった蔡温と毛文哲による首里城の風水鑑定報告書が記載されている。


四つの聖獣が抱護 

首里城は5回焼失している。『球陽』の風水鑑定は3回目の火災後に新築した首里城だ。平成、令和の首里城は、この首里城の老朽化に伴う重修工事記録から復元された。記録を書いた蔡温は、1708年に風水留学で中国へ。留学中の09年に首里城焼失。10年6月に蔡温は風水の羅盤と秘伝の書を持って帰国し、10月に再建工事が始まる。12年に正殿など主要施設が完成。13年に報告書をまとめた。

そこには次のように書かれている。
 
城の背後には高台の弁之御嶽が控える。これは風水における玄武の役割を担い、首里城を護る重要な氣の発生源とされていた。首里城の正殿は西向きに配置され、前方には那覇の海が広がる。西の前方に浮かぶ慶良間諸島が朱雀として氣をとどめる構造となり、左手には青龍となる小禄・豊見城の丘陵、右手には白虎となる北谷・読谷の丘陵が配置され、「四神相応」の地勢を形成している

「首里城は四神に護られた抱護の土地=上イラスト=で、気脈の静まる所にあり、王都にふさわしい。正殿と浮道の向きも絶妙な方位である=下写真
 
後方から玄武の弁之御嶽が護る。正殿の向き(庚)と、正面にのびる浮道の向き(酉)が同じでないことは、風水の法にかなっている。(写真:国営沖縄記念公園  首里城公園)

しかし、首里城の建つ丘陵は狭くて険しく、山川林樹が四方から愛護する力を得なければ、風水は満ち足りたものにならない。幸い今、風水の良い所が多い。林樹の栄枯は、国家の盛衰に係る。心を配り、植樹の管理をもって風水上の不足を補うこと」と。
 

風水の集大成「中城御殿」

『中城御殿御敷替御普請(おしきがえごふしん)日記』には、王家の世子の居所「中城御殿」と王家の墓「玉陵」の風水鑑定が記されている。1867年、第19代尚泰王は両所の風水調査を命じた。風水看・鄭良佐(ていりょうさ)は、報告書を出した。そこには福建の風水師による1848年の鑑定内容も収められている。
 
尚家文書501号『中城御殿御敷替御普請日記』は、中城御殿の造営検討が始まった1867年から75年の完成後までの、全294丁の記録である。帳内には、移築の風水プロセスを記録した風水師・鄭良佐による「世子宮地理記」「玉陵地理記」など風水関連資料が多数収録。写真は中城御殿の向きや門の配置の図案で、羅盤を使い建物の向きを提案している。丙向・午向の建築を想定した4種の絵図が描かれている。(写真:那覇市歴史博物館)

背景として、1844年、中城王子を称した第18代尚育王長男(世子)尚濬(しょうしゅん)が12歳で早世。1847年に尚育王薨去(こうきょ)の後、1848年6月次男・尚泰が4歳で即位。収録された福建の風水師による風水鑑定書の日付は1848年4月頃で、「長男の家系に不利」との記述が見られる。尚泰王が1867年に風水調査を命じたのは、長男(世子)尚典誕生の2年後であった。


長男の吉利求む移築

鄭良佐による「中城御殿地理記」には、当時の中城御殿があった敷地(現・首里高校敷地)と移設候補地(龍潭北側敷地)の風水見分内容が記されている。鄭は現敷地での建物向きの変更ではなく、龍潭北側への全面移設を提案した。王は、この案の妥当性確認のため鄭を福建に派遣。鄭は福建の風水師の意見書を持ち帰り、鑑定内容の正当性が追認されたことを報告した。

中城御殿の復元図面 門の前(南側)に龍潭がある。移築の際は、配置に誤りがあれば凶を招くため、あらゆる要素を風水に基づき配置。特に、水路には詳細な方位の提案が出ている。立地選定から設計図作成まで風水は重要な判断基準であった(図面:沖縄県立埋蔵文化財センター2023年より)

福建の風水師による「世子宮地理記」には、当時の成熟した高度な鑑定技術が示されている。地勢、および方位の吉凶判断に複数の鑑定法が用いられた。それぞれの鑑定法に対し「現状分析→古典の引用→風水判断」という流れで、論理的、かつ詳細に解説されている。その上で、移設候補地の龍潭北側に「北を背に南向き」で建築すれば、八宅・九宮・十二宮、三元氣運の全てに従い、長男に吉利の間取りが可能であるとまとめた。特に丙丁(南)方位にある水(龍潭)は、「福徳の水」と高く評価した。鑑定は長男の吉凶に焦点を当てている。

ただし、水が濁り悪臭を放つ場合は凶。また、敷地左側は樹木が旺盛に茂るが、右側が空虚なため植樹で補うことを指摘。福徳をもたらす氣は豊かな自然環境から生じられ、美しい庭園都市を育む源となったことがうかがえる。
 

琉球の根元思想と風水集落

風水が王府の政策に取り入れられた背景に、土着信仰との親和性が考えられる。古代沖縄人は、太陽の根元に霊力の源があると考え、この世のすべてを生み出す根源を東方の彼方に求めた。

ニライカナイの原義は「太陽の居場所」。沖縄最古の歌謡集『おもろさうし』に「太陽の穴(てだがあな)」という言葉が繰り返し現れる。浦添城の為朝岩の祭祀遺跡からは東南東・辰の方位に久高島が望め、冬至には島の真上に朝日が昇る。「ニライカナイ=根のある場所」という原義と深く結びつく光景は、今も見ることができる。

久高島から昇る朝日 朝日が照らす光の道は「神道」と呼ばれ、ニライカナイ神の来訪を意味する

琉球古来の信仰の中心には根元思想がある。古代の集落では最初に開かれた家を根家と呼ぶ。集落の「根元」には祖霊神が鎮座する御嶽「腰当の森(クサティムイ)」があり、根家が村の背後に、分家は前方に展開した。村民は祖霊神に背後から抱き護られ暮らした。

久高島の伊敷浜 五穀の種が入った白い壺が流れ着き、稲作が始まったと伝えられる。始祖神である夫・白樽(しらたる)が拾おうとしても拾えなかった白い壺。妻・ファーガナシーが、カー(井戸)で禊(みそぎ)を行い、白い衣に着替え、受け取ることができたという民話の舞台

御嶽と風水の融合

古代から続く根元思想の基盤の上に、外来の風水思想が重なったと考えられる。18〜19世紀において、集落の根元の「御嶽」に、風水で気脈の発生源とされる「玄武」を当てはめ、集落造営の基準点とした。御嶽と防風林を四方に配し精神的・実用的に抱護される風水集落が整えられた。
 

沖縄文化を食卓に映す

テーブルは食事の場であると同時に、文化を映す小さな舞台にもなる。沖縄の神話や年中行事、集落の風景、伝統芸能をテーマにコーディネートすれば、そこに息づく歴史や美意識が食卓に現れる。備瀬のフクギ並木の静けさや琉球舞踊のしなやかな動きも、色や形、花の表情で表現できる。こうして、自分の精神性や感性を反映させることが可能だ。下の写真は、筆者が久高島・伊敷浜に伝わる神話の情景をテーマにコーディネートした例である。物語を形にすることで、食卓は学びと感動の場となり、暮らしを豊かにする。食卓を沖縄文化で彩り、知性と感性で自分だけの物語を紡いでみませんか。

前述の神話の情景をテーマに、伊敷浜をイメージしたテーブルをコーディネート。海の青を映すテーブルクロスに珊瑚(さんご)と貝殻をあしらい、中央には白壺に見立てた花器を据え、五穀の象徴を盛り込んだ。アクアブルーのフローティングキャンドルが清らかな水の気配を漂わせ、純白のナプキンが禊の衣を思わせる。神話の一場面を再現するような、祈りと清めの空間が生まれた

感性磨く日常の舞台

たとえ感覚的にデザインされたものであっても、その背後には創り手の内なる感覚の源にある哲学が息づいている。形となって現れる物質文化から、根底にある精神文化を見つめることは自己発見の旅でもある。

テーブルで沖縄文化を表現することは、首里城・中城御殿の風水思想や、沖縄のニライカナイ信仰に根ざした「自然の恵みから幸運の氣を受け取り感謝する」という価値観を、身近な食卓に映すことでもある。色や形、花や器を通して自分の哲学を反映させれば、食卓は、あなたの内なる感性を映し出す、日常の舞台だ。

 

参考文献・参照文献

麻生, 伸一.(2019). 王兄尚濬の祀りかた―王国末期の王族祭祀と首里王府―. 琉球沖縄歴史, 1, 33–49. 
池田 孝之(編)(2012).首里城公園管理センター調査研究・普及啓発事業年報№2(平成22年度号).財団法人海洋博覧会記念公園管理財団 首里城公園管理センター.
『王代記 全』.(成立年不詳). 伊波普猷文庫 IH021(琉球大学附属図書館所蔵). https://doi.org/10.24564/ih02101 (2025年12月12日閲覧)
沖縄県立埋蔵文化財センター(編) (2022).首里当蔵旧水路 龍潭線街路整備に伴う発掘調査報告書 沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書第106集.沖縄県立埋蔵文化財センター.
沖縄県立埋蔵文化財センター. (2023). 中城御殿跡 沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書第調査報告書114集.沖縄県立埋蔵文化財センター.
気象庁地磁気観測所ホームページ.「地磁気の基礎知識 地球内部磁場の変動」 http://www.kakioka-jma.go.jp/knowledge/mg_bg.html(閲覧日2025年11月29日)
高良倉吉. (2018). 「尚泰王末期の風水動向の一端」. 琉球アジア文化論集, 4, 15-21.
都築晶子(1990).「近世沖縄における風水の需要とその展開」.窪徳忠(編).沖縄の風水.平河出版社.
鄭秉哲 [等]原編, 球陽研究会(編著). (1974).球陽
仲松弥秀. (1990). 神と村. 梟社.
仲間勇栄(2017).蔡温と林政八書の世界. 榕樹書林.
中本正智(1992).日本語の系譜. 青土社.
前村佳幸. (2024).球陽外伝 遺老説伝.勉誠社.
町田宗博, 都築晶子(1993).「「風水の村」序論--『北木山風水記』について」琉球大学法文学部(編)琉球大学法文学部紀要. 史学・地理学篇 通号36, pp99~213.
山道帰一. (2009). 完全定本【実勢】地理風水大全. 河出書房新社.
琉球王国評定所. (1867–1875). 中城御殿御敷替御普請日記(尚家文書501号). 那覇歴史博物館デジタルアーカイブ.
湧上元雄(2000).沖縄民族文化論 祭祀・信仰・御嶽. 榕樹書林.
和来龍 (2022). 沖縄風水学入門. ボーダーインク.

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「週刊タイムス住宅新聞」2026年新春特別号
第2087号・2026年01月04日紙面から掲載

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