75段の先に 極上の非日常(南城市)|オキナワンダーランド[38]|タイムス住宅新聞社ウェブマガジン

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2019年5月10日更新

75段の先に 極上の非日常(南城市)|オキナワンダーランド[38]

沖縄の豊かな創造性の土壌から生まれた魔法のような魅力に満ちた建築と風景のものがたりを、馬渕和香さんが紹介します。

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海坐 (南城市)


海と空と眼下の集落の絶景をほしいままにする丘の斜面に建つ隠れ家宿「海坐」。オーナーの中野さん夫妻が手塩にかけて育てる花と緑に包まれた75段の石段の先に、非日常の楽園がある
 

「シャッ、シャッ、シャッ」。宿「海坐」(かいざ)のよく手入れされた庭に、鳥たちの楽しげな歌声に混じって小気味よいほうきの音が響く。オーナーの中野健二さんが、数時間後にチェックインするお客さんのためにアプローチの石段を掃除しているのだ。

「一番上までだと75段あります。これだけの石段を旅の重い荷物を持って登るのですからお客さまにとっては大変です」

石段は、傾斜地に建つこの宿の唯一の入り口。泊まる人は、必ずそこを登る。

「『大変だ』と言われることもあります。だけど、そこまで登ってこそ感じられる心地よさもある。そこを分かって、何度も泊まりに来てくださるリピーターのお客さまも多いです」

傾斜地であることの欠点を補って余りある良さがこの土地にはある。15年前、沖縄に移住しようと土地を探していてこの場所と出合った時も、中野さんはそう感じた。

「道らしい道もない藪(やぶ)だらけの斜面を登っていって、アコウの巨木が自生する所までたどり着いた時に、身体が宙に浮くような気がしたんです。遠くに海が見えて、何とも心地よくて、『ここだな』と確信しました」

青くきらめく海と、緑に染まる田園と、のどかな集落を一望する土地に、中野さんと妻の里美さんは宿を開くことにした。家族や恋人同士が、海を眺めながら大地の上で語らい合い、くつろげる宿。そんなイメージが浮かんで、名前を海坐と付けた。

建物は、初めに4室の宿泊棟を木造で建てて、オープン10周年の去年、鉄筋コンクリート造のコテージ2棟をつけ加えた。平地がほとんどない斜面での建設は容易とは言いがたかった。

「どちらの工事も同じ現場監督さんが受け持ってくれたのですが、『こんなにすごい現場に入るのは10年ぶりですよ』と言われました。『こういう現場、他にないですか?』と聞いたら、『普通はないですよ』と(笑)」

コテージの設計を担当した鈴木雅明さんもこう話す。

「傾斜地での建設は、平らな土地に建てるのとは勝手が違います。傾斜が比較的ゆるい、建物を建てられそうな場所を探すところから始めるので、手間も時間もかかります」

現場に資材を運搬するのも、トラックで運んで来て降ろすだけでは済まない。コンクリートの型枠から庭に敷く砂利まで、何もかもをクレーンでつるして引き上げなければならない。おのずと建設費は割高になる。

「しかし建物が完成した時には他では得られない景色と出合えます。そこでしか見られないものが見られる。傾斜地での建築を何度も手がけてきましたが、できた時の感慨はひとしおです」

海坐にある「そこにしかないもの」は、宿泊客はもちろん、「ここが僕らの理想の土地」と話す中野夫妻も魅了し続ける。

「ここにいると、まるで沖縄の中のさらに小さな離島にでもいるような、不思議な非日常感を感じます。75段の石段は、登るのは一苦労ですが、日常から非日常へ切り替わるための大切な階段なんだと思います」

海坐で一晩過ごした人は、翌朝、安らいだ表情をしているという。日々の暮らしの中で心にからみついた疲れや緊張の糸を、空中に浮かぶ非日常の楽園がほどくのだろう。


中野さんと妻の里美さん。「宿を経営する楽しみは、人と出会えること」と中野さん。「お話が上手な方、立ち居振る舞いが美しい方など、いろんな方に接して良い刺激をいただいています」


2008年に建てた「本館」は当時の沖縄では珍しかった木造。杉や漆喰(しっくい)など、見た目も触感も優しい素材が多く使われている。「ザック一つで旅に出るような」旅慣れた人が憩う宿を思い描いてつくったという


昨年秋にオープンした「別邸」。「そぎ落としたシンプルさが持ち味の本館、ちょっぴりぜいたくなプライベート感を味わえる別邸とそれぞれ趣が異なります。今日は本館、明日は別邸というふうに両方泊まられる方もいます」


屋久島の地杉材の床や壁にはった古材のれんがが、モダンでシャープな別邸のコンクリート空間を柔らかく見せる。他の部屋がちらっとだけ見える間取りは、設計した鈴木さんが「めりはりを利かせるため」に盛り込んだ工夫
◆海坐 098-949-7755


オキナワンダーランド 魅惑の建築、魔法の風景





[文・写真]
馬渕和香(まぶち・わか)ライター。元共同通信社英文記者。沖縄の風景と、そこに生きる人びとの心の風景を言葉の“絵の具”で描くことをテーマにコラムなどを執筆。主な連載に「沖縄建築パラダイス」、「蓬莱島―オキナワ―の誘惑」(いずれも朝日新聞デジタル)がある。


『週刊タイムス住宅新聞』オキナワンダーランド 魅惑の建築、魔法の風景<38>
第1740号 2019年5月10日掲載

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