思いをつなぐ赤瓦 「復元」の意味 皆で考える|私たちの首里城[14]|タイムス住宅新聞社ウェブマガジン

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2021年11月26日更新

思いをつなぐ赤瓦 「復元」の意味 皆で考える|私たちの首里城[14]

首里城復興に向けて関係各位が尽力をしている。

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思いをつなぐ赤瓦
「復元」の意味 皆で考える

(公社)県建築士会会長、
(有)K・でざいん代表取締役  金城 傑さん


2019年10月31日未明、けたたましい消防車のサイレンで目が覚めた。

寝室の東側の窓からは消防車のランプらしきものは見えず、遠くの火事なのだろうと思いつつ、テレビをつけると首里城火災の臨時ニュースが流れていた。跳び起きて西側に窓がある部屋から首里城方面を見ると、まさに正殿が燃えていて、その光景は今でも目に焼き付いている。

沖縄の人々は、それまで当たり前に有るものとして首里城を眺めていたと思うが、失ったことで、心のよりどころであり、沖縄の魂とも言える大きな存在だったと初めて気が付いたように思う。

義父の名を刻んだ瓦

焼失前の首里城には、亡き義父の名前を書いた瓦も葺かれていた。

大正14年生まれ(1925年)の義父が語っていた思い出の中に、近くに住んでいた義父たちの遊び場だった古い首里城正殿の王様の椅子で、よく昼寝をしたという話があった。
1992年の首里城再建を心待ちにしながら、完成を見ることなく他界してしまった義父の夢を果たすために寄贈した瓦も、火災と共に見えなくなってしまった。その瓦の無事を祈りつつ、義父の思いをつなぐために昨年、家族で漆喰はがしのボランティアに参加した。

首里城の復興に多くの方々が尽力されている中、建築に携わる者の一人としても、少しでも復興の役に立ちたい、と願う。

昨年、首里城赤瓦の漆喰はがしボランティアに参加した。家族で首里城の復興にかかわれたので、良い思い出になりそうです

義父が遊んでいたであろう、戦前の首里城 (那覇市歴史博物館提供)

来月に企画展とシンポ

県建築士会は2019年4月に被災したノートルダム大聖堂と首里城を並べて、文化遺産と復元について多様な角度から考える試みとして、「文化遺産と復元 首里城とパリ・ノートルダム大聖堂」の企画展(12月14日~19日)とシンポジウム(12月18日)を開催する。

文化遺産が心のよりどころとして存在すると同時に、実は人々の日常に深く関わっていることについて考える機会にしたい。ぜひご参加ください。

県建築士会主催で復元について考える企画展とシンポジウム「文化遺産と復元 首里城とパリ・ノートルダム大聖堂」を開催する。企画展はパレット久茂地市民ギャラリーで12月14日㈫~19日㈰。入場無料。シンポジウムは18日㈯、入場無料だが11日までに建築士会HP(shikai.or.jp)から予約が必要。定員は180人


きんじょう・すぐる/1955年、竹富町小浜島生まれ。一級建築士。㈲K・でざいん代表取締役。那覇市首里崎山町に自宅兼事務所がある。2020年に県建築士会会長に就任


毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1873号・2021年11月26日紙面から掲載

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