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2020年1月3日更新

特集|建築関係者11人が語る 私たちの首里城〈建築士〉

2019年10月31日、沖縄観光の要である首里城正殿などが焼失した。首里城とかかわりの深い建築関係者ら11人に、首里城にまつわる思い出や建築的・文化的意義、再建のアイデアを寄せてもらった。

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3年がかりで正殿の復元設計

首里城正殿復元設計 統括責任者
中本清さん


令和元年10月31日、首里城公園で火災が発生し、正殿と北殿、南殿など6棟が全焼、奉神門その他が被災した。正殿の復元設計に携わった身として、喪失感は免れなかったが、すぐに、どうしたら再建できるのかと考えていた。

私は、昭和61年(1986年)3月、台湾での木材調査を終えて、正殿を木造で復元する事は「可能である」と、沖縄開発庁に報告書をまとめた。この時から、その後3年間にわたり復元設計を行うことになった。

1年目は、基本設計において、どうしたら復元できるのか、諸条件の整理と課題の抽出を行った。2年目は、予備設計を行い、正殿の詳細な内容の把握と具体化への対応、首里城公園基本計画などとの整合性を図った。最後の3年目は、復元工事に着手するための実施設計を行った。

琉球建築の粋を集め
首里城は伝統的な技法を基礎として、日本や中国の建築様式を巧みに取り入れ、琉球建築文化の粋を集めた琉球の象徴でもある。構法、彫刻、彩色、瓦類などに関して、歴史家の高良倉吉氏をはじめとする学識経験者からなる専門部会を設置し、そこで得られた知見を設計に盛り込んだ。建築関係では、戦後の廃墟(はいきょ)の中で文化財を守って来られた山里銀三氏、又吉眞三氏からは、「自分たちの世代で失った首里城を、君たちがしっかりと復元してくれよ」と叱咤(しった)激励を受けた。

下の写真は、当時の設計チームである。私を含め、数人は(株)国建のスタッフで、ほとんどが30代のメンバーである。物事を成すには、「天の時、地の利、そして人の和が大切だ」というが、まさにその通りだと思う。あの時、沖縄の地で、このメンバーだからこそ実現し得たのが、平成の首里城だった。設計チームは今や全員が70代となったが、すこぶる元気だ。令和の再建は必ずできると確信している。


1986年からの首里城正殿復元設計チームのメンバー。前列再左で写真を手にしているのが中本さん




中本清さん
1947年生まれ。(株)国建で海洋博公園沖縄郷土村、首里城復元設計。前県建築士会長。NPO蒸暑地域住まいの研究会理事

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