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2020年1月3日更新
特集|建築関係者11人が語る 私たちの首里城〈造園〉
2019年10月31日、沖縄観光の要である首里城正殿などが焼失した。首里城とかかわりの深い建築関係者ら11人に、首里城にまつわる思い出や建築的・文化的意義、再建のアイデアを寄せてもらった。
書院・鎖之間の庭 露岩造りに苦労
(株)沖縄庭芸 代表取締役社長渡嘉敷正彦さん
今般、正殿など多くの建造物が焼失した。御庭(うなー)をはじめ、書院・鎖之間(さすのま)の琉球庭園や城壁石積修復など復元工事の数々に携わってきた一人として断腸の思いである。
特に印象に残っているのが書院・鎖之間の庭園復元工事だ。一般の造園工事とは違い、琉球文化遺産庭園の復元である。発掘調査や事例調査が行われ、文献・古写真・絵図・ヒアリングなどを元に検討委員会で議論された。工事は2007年に着手。08年6月に完成した。
人工岩を自然に見せる
この庭園の大きな特徴は、リュウキュウマツとソテツを中心に植栽されたことである。特にリュウキュウマツに関しては、中国からの使者「冊封使」の記録に「蟠(わだかま)った松」と表現されている。とぐろを巻くとか、複雑に絡み合っているという意味があり、検討委員会では「岩を這(は)うような松」ということで決定した。
もう一つの特徴は琉球石灰岩の露岩(自然岩)を活用した庭園だった事だ。だが、先の大戦や戦後、琉球大学が建てられた際に大きく損壊した。その露岩の復元が最も重要な作業であった。
露岩の施工は、まず琉球石灰岩の切石を階段状に積み上げ、粗削りを行った。その後仕上げの造形作業に移る。表面を、いかに自然な感じに仕上げるかが重要だった。以前にも露岩再生に関わった県立芸大の彫刻の先生方に依頼して仕上げを行った。石の合端(つなぎ目)には白モルタルに石粉を混ぜて充塡(じゅうてん)し、目立ちにくくした。
監修委員である安原啓示氏の指導や検討委員会の助言、多くの人たちの関わりがあり、露岩は、より自然に仕上がり、芸術の域まで達したのではないかと思う。このたびの焼失に関しては詳細に調査を行い、検討委員会を立ち上げて琉球文化遺産庭園として復興を願いたい。なお復興に関しては、県産資材を最大限活用したい。
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書院・鎖之間の庭園復元では、琉球石灰岩の自然石(露岩)作りが大変だった。切り石を階段状に積み上げて粗削りを行い、県立芸大の彫刻の先生方に依頼して仕上げの造形作業を行った。苦労のかいあり、国指定の名勝に登録された
渡嘉敷正彦さん
1949年生まれ。1975年に創業した沖縄庭芸の代表。作庭や庭園保守をはじめ、首里城の整備工事など公共事業も手掛ける