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2020年1月3日更新

特集|建築関係者11人が語る 私たちの首里城〈畳〉

2019年10月31日、沖縄観光の要である首里城正殿などが焼失した。首里城とかかわりの深い建築関係者ら11人に、首里城にまつわる思い出や建築的・文化的意義、再建のアイデアを寄せてもらった。

特殊なサイズと絹の畳縁に奮闘

久雄畳店
沖縄県畳工業組合 理事長
岩本久和さん


生涯の師匠である父(久雄)と二人三脚で、久雄畳店を営んでいた1992年、師匠(父)のもとへ首里城復元の正殿畳工事の依頼が飛び込んできました。古い資料を確認しながら、畳の製作に取り組み始めました。

最初に製作したのは、正殿1・2階の台御差床(うさすか)と、唐玻豊(からはふ)之間の厚畳。そして、その上に敷く薄縁(うすべり)でした。

畳表の素材については、沖縄ビーグ表が使用されていたと思われました。しかし、現在一般的な畳の幅が90センチのに対し、台御差床は約112センチ。そのため国の監督官と共にイ草農家を訪ね、刈り取りの時期を延ばして長いイ草を栽培するようお願いしました。

畳の縁は、京都から白い正絹(千歳駒どんす)の反物を送ってもらい、地元の染色の先生に、資料の図柄に合わせて白と黄色、そして赤(朱色)に染めてもらいました。黄色は、フクギの実で染めたそうです。

厚みのある畳縁の幅に苦慮しましたが、柔らかい絹織物を畳表に縫い付けるのも大変でした。大きな穴が開かないよう細い木綿針を使って割縫いし、汚さないようにも気を付けました。

その後、99年に二階殿の畳工事、2013年には奥書院の畳工事も行いました。

県民の自信と誇り
琉球王国の象徴である首里城は、今なお沖縄県民の象徴であることは間違いありません。1879年の廃藩置県で琉球王国はなくなりましたが、首里城が復元されたおかげで沖縄県民の自信と誇りを取り戻せたと思います。

再建には、本土からの宮大工さんも必要ですが、沖縄県にも優秀な学識者や腕の立つ職人もたくさんおられますので一日も早い復興を目指せるでしょう。再び「琉球の風」を吹かせたいですね。自分にもできることは、おしむことなく協力していきたいです。まずは、畳製作に関する資料を作ろうかと考えています。


台御差床の厚畳の上に薄縁を敷く岩本さん。「将来、交換したりするときのために」と、畳製作に関する資料を畳の下に入れていた


復元当時の岩本さん(左)と父の久雄さん


岩本久和さん
1956年、那覇市出身。1980年、父が経営する久雄畳店に入店。2019年から県畳工業組合理事長。一級技能士、全技連マイスター

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