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2019年5月17日更新

5人でシェアキッチンで交流|ロンドン住まい探訪[2]

文・比嘉俊一

イーストロンドンでの大学時代②

今から14年前の2005年、住まい探しはロンドン中心部にある日本食食材店の一角にあった同居人募集広告を見て、建物の貸主と直接連絡をとって交渉していた。不動産を通さない賃貸契約が多かったことに驚かされたが、契約書の内容は日本の賃貸とあまり変わらず、デポジットという預かり金(敷金)もあった。ロンドンでは若者は一つの建物をアパート(フラット)として複数人でシェアする(フラットシェア)ことが多く、その点では不安よりも独特の住まい方を経験できる楽しみのほうが大きかった。

探し始めて1週間、イーストロンドンのストラットフォード駅近くの2階建てフラットの一室を確保することができた。ストラットフォードは2012年ロンドンオリンピックのメイン会場となった街で、ポーランド系、イスラム系移民を中心とした労働者、家族連れや学生も多く、雑多で、お世辞にもきれいな街ではなかったが、活気が肌で感じられる街であった。

部屋は暖炉があったであろうれんがの腰壁、縦長の窓と約3メートルほどの高天井が気に入っていた。備え付けベッドがあるのみで、大抵のものは近所の生活雑貨店、家具類は郊外のIKEAで購入して暮らしの体裁を整えた。作業できる大きなワークデスクとベッド、ちょっとした収納、建築学科の学生には十分過ぎる部屋であった。

初めてのフラットシェアは、マレーシア人と日本人のカップル、イギリス人、中国(香港)人、私の5人が建物の1階に住み、2階とは完全分離の2世帯住宅のような住まい方をしていた。キッチンとトイレ・バスルームが共有のため最初は空気を読みながら使用していたが、キッチンがちょっとした社交の場であることに気付いてからは、調理の時間は積極的に共有し、周辺大型スーパー、パブ、1ポンドショップなど、近隣について情報を仕入れた。キッチンドランカーの楽しさもその時に覚えた。建物の古さに起因する問題は多少あったが総じて住み心地は良く、在学中に住まいを変えることはなかった。

    

思い起こすと、当時はオリンピック誘致の決定、その翌日にロンドン同時爆破テロ事件があり、良くも悪くも記憶に残る年だった。身の危険を感じることも少なくなかったが、それ以上に一日も早く変わらぬ日常を取り戻そうと努める、多くの移民を受け入れ成長してきた社会の強さを感じた。ちゃんぷるー文化とは非常に奥が深いのである。



▲私の部屋。沖縄から来るとルームエアコンがない生活は考えられないが、日本と比べて夏がとても短く、7・8月の平均気温も20度前後と過ごしやすいため、ルームエアコンの必要性はほとんど感じなかった




▲パブの外観と食事風景。イギリス独特のパブの文化に触れたのもちょうどこの頃。知り合った多くの人が自分の「推しパブ」をもっていた



▲駅前にできたロンドンオリンピックのモニュメント



▲フラットシェアの平面図。隣室の中国人女性が同じ年で(かつ同じ大学の建築専攻で研究室まで重なった)、英語のスキルアップの面で大いに助けになった。大学での講義、発表の反省会、日本と中国の話、2年間いろいろな話をした。とてもシャイで気さく、生真面目だった。今は僕と同じように故郷(香港)に戻り、結婚し建築設計業に携わっている。一度沖縄にも遊びにきており、家族ぐるみの付き合いをしている


ひが・しゅんいち/1980年生まれ。読谷村出身。琉球大学工学部卒業後、2005年に渡英。ロンドンでの大学、設計事務所勤務を経て、16年に建築設計事務所アトリエセグエを設立。住み継がれる建築を目指す

毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1741号・2019年5月17日紙面から掲載

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