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2016年5月20日更新
社会的バリア除去へ バスの役割は|みんなで考えよう!豊かなまち②
公共交通は、移動が不自由な人の「足」の役割を担うはずだ。だが沖縄では障がい者の多くがバスを敬遠していると見られ、親など介助者の乗用車に頼る。前回に続き、なは市民活動支援センターでのアルバイトにバス通勤する車イス利用学生・田畑秋香さんに話を聞いた。
物理的バリア② 公共交通
車イス利用者がノンステップバスに乗車する様子
秋香さんを除く車イス利用とつえ歩行、視覚障がいがある大学生5人にもバス利用について聞いた。全員が「ノンステップバスの時間が分からないし、親は『危ないから乗るな』というので乗らない」。
移動はすべて親の車に依存せざるをえず、行きたいところに行く自由がない。ほとんどが学校以外の場所に行ったことがないという。
障がい者が自由に外出できないことは、社会参画の機会を奪うと同時に、県民が障がい者を知らない状況を生む。秋香さんが1人で移動している時、声をかける人はほとんどいない。障がい者に手を差し伸べることに不慣れなのだ。
秋香さんの話に登場する運転手=左囲み参照=は、研修の有無以前に障がい者と接した経験がないのではないか。彼は、どうしていいのか想像もつかないのだ。バス会社の問題だけではなく、交通を含むまちづくりがこれまで健常者のことしか考えてこなかったからだ。
ある地域で障がい者の避難所生活についてワークショップを行った際、年配の参加者がみな「住民は障がい者について素人なので、専門家にすべて任せるべきだ」と言う。障がい者は福祉専門家の元で暮らすものという思いこみが、社会的バリアを築くだけでなく、障がい者を地域から排除してしまう。
どうしたらよいか。ヒントは、秋香さんの言葉だ。障がい者自身が自分のことを語ること、そのためには外に出ることではないか。障がい者の姿がバスの車中に増えると、差し伸べる手も多くなる。壁は市民の手で双方から崩さなければならない。
首都圏と同じ人口密度で、貧困率は全国一高いのに車に依存する状況がある。高過ぎるバス代を元に戻し、せめて高齢者、障がい者に乗り継ぎ割引をするなど、外出しやすい制度を取り入れるべきだ。
外出の機会奪われる障がい者
-初めてのアルバイト。バス通勤の課題は?
田畑 ノンステップバス(以下NS)が増え、使っている路線は通勤通学とも全便NSなので、毎日電話予約を入れる手間がなくなった。ただ、運転手さんの対応に差があり過ぎる。
先日、NSが来て後部ドアが開いたと思ったら運転手が来て、いきなり「乗れるね?」。「無理です」「どうするね?」「いつもはスロープの板を使うけど…」「…!」。やっと分かったようで、乗車できた。
乗車後、運転手はスロープを座席に置いたままで、車イスも所定の場所に固定してくれなかった。威圧感を感じたので、言わなかった。ところが、今度は後部ドアが閉まらない。運転手はいらだち、車内も緊張状況に。こんなことなら乗らなければよかったと後悔した。10分ほどして、座席に置いたスロープがドアセンサーにかかっていたことが分かり、発車した。
社員教育はしないのか。せめてスロープの存在くらい知っておいてほしい。車イスの人が乗るという発想がないように見える。
-公共交通なのに「乗らなければよかった」と思わせるなんて。バス停での課題は?
田畑 時刻表が見づらい。夜は特に。夜のバス停で、手を上げても通過されそうになったことが何回もある。運転席から車イスは低くて見えにくいのかも。雨の日も同じ。
屋根のないバス停で、健常者は日陰やぬれない所に行けるが、私は炎天下や大雨の中にいる。沖国大前のバス停など、屋根はあっても傾斜の上で、車イスの人は絶対に入れない。
沖縄は、車イスの人がいる前提で社会ができていないと思う。だからバスは使いづらく、障がい者は外出の機会を奪われる。だったら何のためのノンステップバス?「いいことやってますよ」というPRのため? と思ってしまう。
一方で、気を使ってくれる運転手も増えた。「最近、乗る場所が変わったね」と声をかけられ、「那覇でアルバイトを始めたので」という話をしたら、乗車で会うたびに細かい配慮をしてくれる。「アルバイトやってるの! がんばってね!」と励ましてくれる人も。
-対話を生みだす秘訣は?
田畑 自分のことで、「話した方が後々トクかな」と思う内容を伝えるようにしていること。おかげで、見知らぬ大人に顔見知りが増えた。とても心強い。
沖国大前のバス停は、車イス利用や視覚障がい者は屋根の下に入れない
文・稲垣 暁(いながき・さとる)
1960年、神戸市生まれ。なは市民活動支援センターで非常勤専門相談員。沖縄国際大学・沖縄大学特別研究員。社会福祉士・防災士。地域共助の実践やNHK防災番組での講師を務める。
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞 第1585号・2016年5月20日紙面から掲載