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2024年3月29日更新
【全面広告】セコム、しってますか?|意外と知らない沖縄とセコムのつながり
日本初の本格的な警備サービス会社であるセコム(株)。人気ドラマのモデルになったり、いち早く機械警備に移行したりと革新的な物語がたくさんある。また、創業者の飯田亮氏は沖縄への思い入れが強かったそうだ。セコム琉球の宇田文徳専務に、セコムの歴史と沖縄との関わりを聞いた。
うだ・ふみのり/広島県出身。1993年にセコム(株)に入社、2012年にセコム琉球(株)の営業部長、19年に専務に就任
1962年、飯田亮氏と戸田壽一氏が「日本警備保障(後のセコム)」を創業。その6年後(68年)、まだ復帰前の沖縄にセコム琉球の前身となる「琉球警備保障」を設立し、翌年「日本警備保障琉球」に社名を変更。沖縄法人を構え、飯田氏自ら社長に就任した。「本土でも進出していない県がある中、飯田は沖縄の経済発展が日本や会社の発展につながると考えていた」とセコム琉球の宇田専務は話す。そのときのことを飯田氏は、「沖縄には熱い想いを持っており、会社設立の本気度を知ってもらうため」と語っている。74年11月まで5年6カ月にわたり社長を務めた。
沖縄と本土の財界人が集い、県内外の企業が協力交流することを目的とする「沖縄懇話会」では90年の発足時から本土側幹事として参加。沖縄の経済振興に積極的に関わってきた。
技術革新と人材育成
セコムは66年に日本初のオンライン安全システム「SPアラーム」を発売して以来、警備のシステム化を進めながら事業を拡大してきた。81年には国内初のホームセキュリティの販売を開始。長嶋氏のCMも追い風となり、契約件数も順調に増加している。「最近はApple Watchやスマートフォンと連携もできるようになり、より利便性がアップしている」と話す。
AIなど最先端技術の活用にも注力しており、さらなる効率化を進めている。宇田専務は「時代に合わせた安全・安心なサービスを提供していく」と力を込める。
革新的なサービスを提供しながら「やはり人の力も重要。社員がプロ意識とプライドを持って働ける職場作りにも力を入れている。ブランドイメージを高めることが、社員の誇りと会社の信頼度に直結する」と話す。
2023年からは、タレントの崎山一葉さんをセコム琉球のアンバサダーに起用。「セコムの制服姿で広報活動をしていただいている。他県のセコムに先駆けた取り組みで、対外的な広報だけでなく社員に〝誇れる仕事〟〝女性が活躍できる仕事〟だと再認識してもらうことにもつながっている」と話した。
食事の席で知人から「欧州には警備を業務とする会社がある」と聞いた飯田亮氏と、学生時代の友人である戸田壽一氏が「これだ!」と即、決断。1962年に日本初の警備保障会社「日本警備保障」(後のセコム)を起こした。
東京オリンピックの選手村の警備
少しずつ契約が増える中、1964年に東京オリンピックの警備を受注。配備した社員はピーク時で100人を超えた。無事に会期を終えたことで世間から高い評価と信頼を得て、大企業からの契約も増えた。
ドラマ出演メンバーと中央右が飯田氏、左が宇津井健氏
1965年、同社をモデルにしたテレビドラマ「ザ・ガードマン」の放映が始まる。帝国ホテルで警備員をしていた社員がプロデューサーの目に止まったことがきっかけ。当初、テレビ側が付けたタイトルは「東京用心棒」だったが、飯田氏が反対。和製英語「ザ・ガードマン」がタイトルになった。宇津井健氏が主演で、目新しく爽やかなドラマは大ヒットした。
当時のパトロールカー。復帰前なので左ハンドル
1968年8月「琉球警備保障(株)」を宜野湾市に設立。翌年「日本警備保障琉球(株)」に社名変更し、沖縄の現地法人として飯田氏が社長に就任(~74年11月)。1983年にセコム琉球(株)に社名変更。23年に創業55周年を迎えた。現在、株式の50%は地元企業からの出資。
2022年にはバーチャル警備員が警戒・受付をするシステム、巡回・点検業務を行うセキュリティロボット「cocobo」を発売。先端技術を駆使したセキュリティーの開発・提供を進めている。
↓画像をクリックすると、セコム琉球(株)のホームページに移動します
1962年、飯田亮氏と戸田壽一氏が「日本警備保障(後のセコム)」を創業。その6年後(68年)、まだ復帰前の沖縄にセコム琉球の前身となる「琉球警備保障」を設立し、翌年「日本警備保障琉球」に社名を変更。沖縄法人を構え、飯田氏自ら社長に就任した。「本土でも進出していない県がある中、飯田は沖縄の経済発展が日本や会社の発展につながると考えていた」とセコム琉球の宇田専務は話す。そのときのことを飯田氏は、「沖縄には熱い想いを持っており、会社設立の本気度を知ってもらうため」と語っている。74年11月まで5年6カ月にわたり社長を務めた。
沖縄と本土の財界人が集い、県内外の企業が協力交流することを目的とする「沖縄懇話会」では90年の発足時から本土側幹事として参加。沖縄の経済振興に積極的に関わってきた。
技術革新と人材育成
セコムは66年に日本初のオンライン安全システム「SPアラーム」を発売して以来、警備のシステム化を進めながら事業を拡大してきた。81年には国内初のホームセキュリティの販売を開始。長嶋氏のCMも追い風となり、契約件数も順調に増加している。「最近はApple Watchやスマートフォンと連携もできるようになり、より利便性がアップしている」と話す。
AIなど最先端技術の活用にも注力しており、さらなる効率化を進めている。宇田専務は「時代に合わせた安全・安心なサービスを提供していく」と力を込める。
革新的なサービスを提供しながら「やはり人の力も重要。社員がプロ意識とプライドを持って働ける職場作りにも力を入れている。ブランドイメージを高めることが、社員の誇りと会社の信頼度に直結する」と話す。
2023年からは、タレントの崎山一葉さんをセコム琉球のアンバサダーに起用。「セコムの制服姿で広報活動をしていただいている。他県のセコムに先駆けた取り組みで、対外的な広報だけでなく社員に〝誇れる仕事〟〝女性が活躍できる仕事〟だと再認識してもらうことにもつながっている」と話した。
1962年 飯田氏・戸田氏が創業
創業期の飯田氏(右)と戸田氏
食事の席で知人から「欧州には警備を業務とする会社がある」と聞いた飯田亮氏と、学生時代の友人である戸田壽一氏が「これだ!」と即、決断。1962年に日本初の警備保障会社「日本警備保障」(後のセコム)を起こした。
1964年 東京五輪で飛躍
東京オリンピックの選手村の警備
少しずつ契約が増える中、1964年に東京オリンピックの警備を受注。配備した社員はピーク時で100人を超えた。無事に会期を終えたことで世間から高い評価と信頼を得て、大企業からの契約も増えた。
1965年 「ザ・ガードマン」放映
ドラマ出演メンバーと中央右が飯田氏、左が宇津井健氏
1965年、同社をモデルにしたテレビドラマ「ザ・ガードマン」の放映が始まる。帝国ホテルで警備員をしていた社員がプロデューサーの目に止まったことがきっかけ。当初、テレビ側が付けたタイトルは「東京用心棒」だったが、飯田氏が反対。和製英語「ザ・ガードマン」がタイトルになった。宇津井健氏が主演で、目新しく爽やかなドラマは大ヒットした。
1968年 琉球警備保障を設立
当時のパトロールカー。復帰前なので左ハンドル
1968年8月「琉球警備保障(株)」を宜野湾市に設立。翌年「日本警備保障琉球(株)」に社名変更し、沖縄の現地法人として飯田氏が社長に就任(~74年11月)。1983年にセコム琉球(株)に社名変更。23年に創業55周年を迎えた。現在、株式の50%は地元企業からの出資。
1971年 長嶋氏がCMに登場
71年当時の長嶋氏
1971年、強力な助っ人が登場。プロ野球選手として華麗なフィールディングで人々を魅了した長嶋茂雄氏が同社のテレビコマーシャルに登場。“鉄壁の守り”をテーマにしたCMは好評を博す。1983年に「セコム(株)」に社名変更し、90年から放映されたCMでは「セコム、してますか?」という長嶋氏の名台詞が話題となる。
現在~ AIでさらなる効率化
世界で初めて、バーチャルキャラクターが警戒・受付業務をする「バーチャル警備システム」を発売
AIドローンで巡回・侵入監視を行うサービスは今春発売
セキュリティロボット「cocobo(ココボ)」による巡回、点検業務
半世紀以上、警備業界を牽引し続ける同社。昨今はAIの活用に注力している。AIドローンで巡回・侵入監視を行うサービスは今春発売
セキュリティロボット「cocobo(ココボ)」による巡回、点検業務
2022年にはバーチャル警備員が警戒・受付をするシステム、巡回・点検業務を行うセキュリティロボット「cocobo」を発売。先端技術を駆使したセキュリティーの開発・提供を進めている。
↓画像をクリックすると、セコム琉球(株)のホームページに移動します
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1995号 2024年3月29日紙面から掲載