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2020年1月3日更新
特集|建築関係者11人が語る 私たちの首里城〈瓦葺き〉
2019年10月31日、沖縄観光の要である首里城正殿などが焼失した。首里城とかかわりの深い建築関係者ら11人に、首里城にまつわる思い出や建築的・文化的意義、再建のアイデアを寄せてもらった。
美しい瓦屋根 厳しい検査に苦労
大城屋根瓦左官大城幸祐さん、孝仁さん
生まれも育ちも首里。祖父の代から瓦葺きを家業にしている。中学のころは、父親に引っ張られて守礼門の瓦葺き工事を手伝った。
初めて正式に仕事を受けたのは北殿。首里城の仕事は検査が厳しく、慣れないうちは大変だった。瓦と瓦の間に塗る漆喰(しっくい)すら、すべての列がきっちり水平になるよう施工しなければならない。別の会社が手掛けていた正殿や南殿の現場を見て、糸を使って水平垂直を取ったり、墨出しのやり方を学んだ。
それから首里城のさまざまな門や建物の屋根工事を手掛け昨年2月、美福門の工事が完了。「ようやく、すべて終えた」と感慨深かった。そこにあの火災。だが、落ち込んでばかりはいられない。職人には再建する使命がある。(幸祐さん)
昨年12月中旬、県の担当者に呼ばれ火災現場を見た。まだ使えそうな瓦はたくさんあった。しかし、屋根から今にも落ちそうな状態だったので、早急に回収してほしい。昔から赤瓦は再利用する伝統があるし、活用すれば再建のスピードも早くなる。
あとは人材育成。今回の火災で、いかに首里城が大事なものだったか、県民はかみしめている。職人になって再建したいという若者も少なくない。育成の場を作れば人材確保は難しくないと思う。
10年以上前だが、県立浦添職業能力開発校の建築左官科に「赤瓦コース」があった。当時は半年のコースだったが1年にし、みっちり技を学べる場を作ってほしい。私の所属する県琉球赤瓦漆喰施工協同組合も協力を惜しまない。
瓦葺きは工事の後半だが、親父のようなベテラン職人から技術を引き継ぐことを考えると、一刻も早く育成に取り組む必要がある。(孝仁さん)
1992年8月10日、首里城奉神門の屋根工事をする様子
おおしろ・こうゆう(右)1934年生まれ。大城屋根瓦左官の3代目。2011年に現代の名工受賞/たかひと(左)1968年生まれ。長男で4代目