2023年3月17日更新
アジアを旅する建築家|“暮らし”の時間を巡る[ウチナー建築家が見たアジアの暮らし⑫]
昨年より始まったこの連載も今回で最終話。寂しくなりますねー。
アジアを旅する建築家
“暮らし”の時間を巡る
昨年より始まったこの連載も今回で最終話。寂しくなりますねー。もう書くネタがない…というのが本音ですが(笑)。南アジア、東南アジア、東アジアと7カ国、10の地域を巡ってきた中で、結局のところ自分はなにが好きでアジアを旅してるんだろう? アジアの暮らしってなんだろう? と思い、今までの記事を振り返ってみました。
ネパールのヒマラヤでは今日もアジアのどこよりも早く朝日が山頂を照らし、シェルパたちが何千段とある石畳の階段を一歩ずつ、大きな荷物を担ぎ登っていく。その頃、屋久島の小野家では土間に入り込んだ虫をニワトリが追いかけ、犬も追走し、子供が目を覚ましにぎやかな一家だんらんの朝を迎えているだろう。
ラオスの山奥でモン族のニンヤンさんが弓の弦となる蔓(つる)を剪(せん)定(てい)し手作業で1本ずつ丁寧に編み込んでいる頃には、スリランカでジェフリー・バワの設計した空間に建築家が酔いしれるも、月に1度のフルムーン・ポヤ・デー(禁酒の日)でお酒が飲めずに泣いているかもしれない。あの日、西表島で生まれた1隻の潮舟(スウニ)は今頃、うりずんの風をつかまえさっそうと波にのって走っているのかな?
雨期が始まるカンボジアはもうすぐメコン川の水位が上昇し、流域の人々は陸上から水上の生活へと変わっていく。カンボジアン・アーティストのリムが写した1枚の写真は今も世界各地を巡り、環境危機という課題を僕たちに示唆し続けている。
森に囲まれたチェンマイの山岳が真っ暗な夜に包まれる頃、水力で発電した小さな白熱電球が一つまた一つとともり出す。そしてすっかり日が暮れた沖縄でアジアの旅が恋しくなった僕は、栄町の「ロイヤルミャンマー」ののれんをくぐり一杯のミャンマービールを飲むのだ。
アジアの暮らし」らしさあふれる1枚。メコン川流域にあるクラチエ州(カンボジア)で撮影した。人々の1日の暮らしは朝市からはじまる
ひと連なりの「暮らし」
「一生を暮らすのではない ただ一日一日 一日一日と暮らしていくのだ」と詩人の山尾三省が言ったように、「暮らし」という時間は日々繰り返されていくヒトの営みに流れている。「暮」の象形文字には日と草が描かれ、太陽が草原に沈み日が暮れていく自然の姿を先人たちが表現したように、今日もアジアのどこかで、だれかの1日の暮らしが始まり終わっていく。
僕が巡ってきた各地方にはまだ、文字通り自然に寄り添い「暮らす」人々の生活があり、それはリレーのように一つの連なった「暮らしの時間」として流れているようだった。そんなアジアの暮らしが僕は好きなのだ。ただ一日一日を暮らす彼らの時に耳を傾けながら、全12回の幕を閉じたいと思います。=おわり
筆者。「まだまだ行けていない国はたくさん! 新たな発見を求めて、さぁ旅に出よう。ではまたどこかで会いましょう」
執筆者
もとたけ・こうじ/父は与那国、母は座間味。沖縄出身の、アジア各地を旅する建築家。2014年よりカンボジアを拠点に活動している。
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1941号・2023年3月17日紙面から掲載