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2021年1月8日更新

北海道胆振東部地震 体験記(2)|みんなの防災計画[21]

文・知念メンドーザ麗子
2018年9月、最大震度7の北海道胆振(いぶり)東部地震に遭遇した知念メンドーザ麗子さん。地震当日の様子を紹介した前号(1822号、2020年12月4日発行)に続き、今回は空港で過ごした2日間の様子について。

新聞敷いた床で眠る

空港での避難生活

千歳市の避難所で過ごした翌朝、避難所にいる人たちは、どうすればよいのか、見当もついていませんでした。皆が無言で、毛布をたたんで身支度し、掲示板の情報を見つめたり、パソコンや携帯電話で連絡を取ったりしていました。

しばらくして、千歳市災害対策本部の田中俊行さんに、再開した新千歳空港行きのバスに案内されました。きっと避難所に着いたときに被災者が記入した用紙を元に、状況や要望に応じて被災者への対応や振り分け作業が夜を徹してなされたのでしょう。


J空港行きのバスの中で今後の行動を案内する、千歳市災害対策本部(当時)の田中俊行さん。
現在も連絡を取り合い、防災の資料やアドバイスをもらったりしている


コンビニで個数制限


コンビニへと続く長蛇の列。1時間半以上並ぶ上、購入できる品数も制限があった

空港に着いてからは全てが自己責任となりました。各航空会社のカウンターにはすでに長蛇の列ができており、私たちは沖縄行きのチケットを購入することのみをその日の目標にして列の最後に並びました。

並びながら交代でトイレに行ったり、空港内で唯一開いているコンビニにも行きました。新聞と菓子パン2個、ペットボトルの水1本を買うのに1時間半以上は並びました。買う品物の個数制限もありました。

その日はゆうに10時間は立ちっぱなし。空港内では、倒れて救急搬送される人、悲嘆にくれた様子で椅子や床に座りこむ人もいました。それにもかかわらず、誰も文句を言わずに長蛇の列を作り、静かに何時間も立っていました。

結局、チケットは購入できずに空港内に新聞紙を敷いて眠ることになりました。新聞を読んだ後、捨てずにいたことが幸いしました。そばにいた70代くらいの女性と体調の悪い息子さんにも新聞紙を分けることもできました。ただ、硬くて、冷たい床の上に新聞紙を敷き、上着を何枚も重ね着して高齢の方が眠る姿には心が痛みました。

航空券購入に8時間

翌日も前日同様に並び、8時間ほどで、ついに翌日の夕方に出る羽田行きの臨時便の航空券を購入。羽田から沖縄便に間に合うかどうかは分かりませんでしたが、それでも幸運だと感じました。なぜなら、まだ空港内で数日を過ごすであろう人や国際線に乗り継がなければならない人もいる中で、私たちは沖縄に帰れる目途がついたのですから。

しかし、食べるものも尽きたので、翌朝は市街へ行き、たまたま開いていた店で空腹を満たしました。薄いおみそ汁と少量のご飯がごちそうのようでした。電気やガスに被害があったのか、私たちのように食事を求めてくる地元の方もおり、現地の人たちも大変なのだと感じました。

空港に戻り、その夜は広場にどさっと置かれた毛布をもらって眠ることに。しかし、別の階では毛布が配られていることすら知らないで、捨てられた新聞紙に横たわる高齢のご夫婦や、幼い子供たちと床に座って涙ぐむお母さんの姿を目にしました。それがとてもふびんで、私は思わず広場に戻り、持てる限りの毛布を持って届けました。私たちは沖縄線の搭乗口の近くで毛布にくるまり、着の身着のまま床で眠りました。

翌日、臨時便でようやく羽田空港へ。まるで違う世界のように人が行き交い、豊かに暮らしているように見えました。それから何とか乗り継いで、沖縄市の自宅に戻ったのは、午前0時をとうに過ぎた真夜中。たった3日間の避難所生活でしたが、被災者にとっては本当に長い3日間でした。



空港到着時の様子。人でごった返しており、航空会社のカウンターに並ぶ列を探すのも一苦労だった


空港に着いて2日目の夜の様子。床に毛布を敷き、着の身着のまま眠った





ちねん・メンドーザ・れいこ/NPO法人防災サポート沖縄防災リーダー、沖縄市消防機能別団員(通訳・その他)
 

毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1827号・2021年1月8日紙面から掲載

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