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2016年7月1日更新

大地に溶け込む「プレーリースタイル(草原様式)」|ライトの有機的建築に学ぶ[3]

アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトは20世紀初頭、建物の高さを抑え、四方に開ける新しい建築様式「プレーリースタイル」を確立し一気に評価を高めた。水平に伸び、自然と一体となった建物は現在の建築にも大きな影響を与えている。

水平に伸び自然と融合


プレーリースタイルの到達点と言われるロビー邸(1906年)。街路からの目線を考慮して、居間や寝室などの生活空間を2、3階に配置する工夫がされている


ライトは1867年にアメリカ東部のウィスコンシン州に生まれ、州立大学の土木科を卒業、高名な建築家シルスビーの設計事務所勤務を経て、師匠であるルイス・サリヴァンの下で働くようになります。

ライトの自伝によれば、母親のアンナは彼がまだ幼いころから将来は建築家にすると決めていて、幼児教育学者のフレーベルが考案した積み木を与えて、英才教育を施していたそうです。

22歳の若さで最初の妻キャサリンと結婚し、子宝にも恵まれますが、生活費のため内緒で個人的に設計の仕事を請けていたことがサリヴァンに知られたのを機に、事務所を辞めて独立します。

独立して最初の作品であるウィンズロー邸の美しい外観は人々を魅了し、一躍有名建築家の仲間入りを果たしました。
 

「四角い箱」からの開放


初期の事務所兼自邸を構えたシカゴ郊外のオークパークを中心に、日本に来るまでにライトは200件近い設計を手掛けています。

屋根を低く抑えた建物が地面に水平に伸び広がる自らの設計手法を、ライトはプレーリースタイル(草原様式)と呼びました。その手法が目指したのは、建物の形を単なる四角い箱から開放し、外部の空間とつなげることでした。

ライトはそれまで外壁の一方をふさいでいた暖炉と煙突を、構造体として建物の中心に据えることで、東西南北全てに向けて窓が作れるようにしました。出窓やコーナー窓をたくさん設けたり、住宅全体の間取りを十字型にしたりと、箱形を崩すことをさまざまに試みています。

1906年のロビー邸はプレーリースタイルの到達点と言われています。閑静な住宅街の中にたたずむ重厚感のある邸宅は、後の帝国ホテルにつながる要素も垣間見ることができ、今日でも世界中からの見学客が絶えません。




ライトが有名建築家の仲間入りを果たした作品、ウィンズロー邸(1894年)。左右対称の構成や軒の深さに日本建築への造詣が伺える/写真


(左)ゲイル夫人邸(1909年)は、オークパークの中にある一棟でのちの傑作「落水荘」の原型だとライト自身が語っている/写真

 

[執筆]遠藤現(建築家)
えんどう・げん/1966年、東京生まれ。インテリアセンタースクールを卒業後、木村俊介建築設計事務所で実務経験を積み独立。2002年に遠藤現建築創作所を開設し現在に至る。

 
『週刊タイムス住宅新聞』ライトの有機的建築に学ぶ<3>
第1591号 2016年7月1日掲載

 

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