特集・企画
2017年12月22日更新
「建築家・国場幸房氏の功績と次世代への継承」シンポジウム
2017年12月15日、一周忌のタイミングで開かれたシンポジウム「建築家・国場幸房氏の功績と次世代への継承」では、国場氏(享年77)の建築のバックボーンについて語られた。東京で建築の最先端を学ぶも、帰ってきた沖縄ではなかなか通用しなかった国場氏。「そのギャップが彼の建築活動の源になった」とパネリストは声をそろえた。
本土とのギャップを力に
シンポジウムでパネリストを務めた建築士。左から伊志嶺敏子さん、本庄正之さん、當間卓さん、前田慎さん、金城春野さん
設計に欠かせない七つ道具
国場氏の建築について語られることは多い。だが、今回のシンポジウムではその建築の源にある、国場氏の人となりや生い立ちの話が中心だった。
第一部では、国場氏と共に働いた㈱国建の那根律子さんが活動の軌跡を解説。手掛けた建築の中でも国場氏が「もっとも思い入れがある」と語ったムーンビーチホテルなどを紹介した。沖縄の代表的な樹木であるガジュマルの木陰を大きなピロティで再現したそこに、亡くなる2週間前にも家族で訪れていたという。
趣味だった囲碁やマージャン、ゴルフや63歳から独学で始めたというピアノ、夜な夜な行きつけの店を飲み歩いていた「幸房パトロール」についても話が及んだ。那根さんは「幸房は、泡盛を交わしながらコミュニケーションの輪を広げていた。例えば漫画家の池上遼一氏とも仲良くなり、現在、ビッグコミックスペリオールで連載している沖縄を舞台にした『BEGIN』というマンガには幸房をモデルにした『的場』という登場人物がいる」と明かした。
ほかにも、国場氏が設計の際に用いていたという七つ道具を紹介。①ドラフター(製図台)②A4サイズのトレーシングペーパー③茶色のサインペン④スプレーのり⑤タバコ(うるま)⑥灰皿⑦火消しスプレー、が欠かせなかったそうだ。
客席からは、「サインペンはなぜ黒ではなく茶色なのか」「火消しスプレーは何に使うのか」という質問が挙がった。国建で一緒に働いていた社員は「茶色のサインペンは、黒のように強くなく、かといって弱い色でもないく、ニュートラルな色。実感では、国場さんの描いた図面を『いいね!』と思わせ、かつ『よし全力でサポートして、コンペを勝ち取ろう』という気にさせてくれた」と語る。火消しスプレーは、チェーンスモーカーだった国場氏には欠かせなかったという。「国場さんは、2~3口吸ったらすぐに灰皿に置く。机周りはすごく煙たかった。なので、周りがそのタバコの火を消すために使っていた」とのエピソードを明かした。
コーディネーターの小倉暢之さん、副コーディネーターの那根律子さん
那覇市民会館コンペの挫折
第二部は、国場氏をよく知る建築家らがその人となりを語った。
よく飲みに連れて行ってもらっていたというアトリエ・ノアの本庄正之さんは那覇市民会館コンペに落ちた話が忘れられないそうだ。「東京で建築の最先端を学び、『自分が一番』という思いがあったのだと思う。それなのに落選したことはかなりショックだったみたい」と語る。
しかし、それはプラスに働いた。「幸房さんが好きだった沖縄の原風景を考えるきっかけになったみたい。次に手掛けたムーンビーチに生かされている」と語った。
同じく旧知の仲だった伊志嶺敏子一級建築士事務所の伊志嶺敏子さんも、「私も内地で建築を学び、宮古島に戻ってきたときにギャップを感じた。理屈は通っていても、地元の人たちのDNAに根付いた風土性のある家を提案しなければならない。そのズレを埋めるのは大変だったと思う。だけど、今考えると本土と沖縄の二つの基盤を持っているということは強みになった」と、国場氏のバックボーンをおもんぱかる。戦後の沖縄建築をけん引してきた国場氏のルーツは「ギャップ」にあったという声が目立った。
フロアで熱心に話を聞いていた琉球大学1年の本多琴美さん(18)は長崎県の出身で、建築の世界に入ったばかり。学ぶほどに沖縄と故郷とのギャップを強く感じていた。「正直に言うと、このままここで学んでいて意味があるのかとすら思っていた。でも国場さんがギャップを刺激にしたという話を聞いて、前向きに勉強しようと思った」と笑顔で語った。
巨匠の生きざまは、一周忌を迎えてなお若者たちの背中を押す。
2016年6月に行われた「沖縄未来建築塾」では講師を務め、建築家を目指す若手にアドバイスを送った
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1668号・2017年12月22日紙面から掲載