「建築」で津波古を元気に 新たなゆいまーるの形探す|ひと

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2022~23年に「ウチナー建築家が見たアジアの暮らし」、今年4月から「アジアを旅する建築家が見た沖縄の暮らし」を本紙で連載している本竹功治さん(43)。「建築の定義を広げ、新たなコミュニティー作りを支援したい」と今後の展望を語る。(編集部/伊波克朗)

珊瑚舎スコーレ 非常勤講師の本竹功治さん

もとたけ・こうじ/1983年、浦添市出身。浦添高校卒業。アメリカやイギリスで建築について学ぶ。2022年から南城市津波古に移住し、同市にある「珊瑚舎スコーレ」の非常勤講師などを務める。

建築に関する思い出は?

20歳のとき、海外に出てみたいと思い、叔母が住んでいたロサンゼルスに留学。コミュニティー・カレッジで、アートや写真の授業ばかり受けていました。そこで一級建築士の日本人と出会い、アメリカの有名な建築家が設計した建築物に連れていってもらったんです。芸術的でありながらも論理的に構成されている様子が面白く、そこから建築の授業にも参加し始めました。

その後、建築を教わった教授に推薦してもらい、イギリスの建築専門大学の短期スクールにも行きました。広場にチョークで枠を描いて1日中暮らすなど、実験的な活動を推奨する授業は、「建築」の定義を考える機会になりました。

カンボジアで暮らしていた時期もありましたね

2013年から7年ほどカンボジアを拠点に仕事をしていました。東南アジアは人員も機材も不足しているので、ものづくりは相互扶助で成り立っています。コミュニティーをまとめないと、100人いたはずのスタッフが最後には5人しか残らないこともざらにありました。

最近、祖母から建築士だった祖父の話を聞きました。戦後の沖縄も、ゆいまーるの精神で集まった職人が、共同生活をしながら建築していました。多くの人をつなぎ、計画をまとめるのは、建築士の重要な役割だったそうです。

時代が進むにつれ、建築士の仕事も分業化が進み、人間が必要なくなりつつあります。一方で、祖父の話を聞き、建築には多くの人をつなぎ、コミュニティーを産む力があると思いました。

私は祖父の時代のように現場の人やプロジェクトを調整する役割として、「建築家」と名乗っています。

今後の目標は?

連載を完結させることですね(笑)。地域の方との会話も、モチベーションになっています。「珊瑚舎スコーレ 森の校舎」は既に完成済みで、現在は「津波古文化芸術発信『小さな文化ラジオ』」を計画中です。地域の方から聞いた話を、ラジオや区の広報誌、SNSなどで発信して、世代間のつながりを作るのが狙いです。

現場ではボランティアやスタッフと集まり、意見交換なども行った

昔のゆいまーるをそのまま取り戻すのは難しいですが、緩くつながるツールを活用することで、これまでなかったコミュニティーが生まれるのではないかと期待しています。

「ヒト・モノ・コト」が循環する場を作ることで、地域の方が豊かに暮らせる環境を作る。これは私にとって新たな「建築的」挑戦です。

4月から新連載 自然に寄り添う設計・施工

毎月第1週に掲載。森の校舎建築の過程を、地域の暮らしを交えて紹介している(画像をクリックすると、記事一覧ページに移動します)

第1回は、「珊瑚舎スコーレ 森の校舎」の敷地内に雨水が押し寄せてくる問題を、山や森の環境整備をなりわいとしている矢野太智さんと一緒に森を整備して解決した内容をつづった。

本竹さんは「言語化して共有財産として残すことは、技術や文化を途絶えさせないためにも必要です」と説明した。

お問い合わせ

珊瑚舎スコーレ
電話 098(975)7781
https://sangosya.com

本竹さんの「note」
https://note.com/kojimototake


毎週金曜日発行「週刊タイムス住宅新聞」ひと
第2106号(2026年5月15日発行)より転載