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2017年12月22日更新

思い出の家、和モダンの宿に|愛しのわが家・まち

[MOK igusa villa・沖縄県大宜味村]目にしみるような青い海と、緑したたる山。伝統的な家並み。沖縄から消えつつある昔懐かしい"原風景"に出合えるやんばるの里、大宜味村喜如嘉に、遠くは南半球からも旅人が訪れる宿がある。大工だった祖父が数十年前に建てた家を孫がスタイリッシュに改装したその宿は、古家に"今"の息吹を吹き込んでモダンによみがえらせた例として注目される。

古家に“今”をプラス


大宜味村喜如嘉の一棟貸しの宿「MOK igusa villa」。「親族で集まる場所を一族のルーツがある土地に」と母が提案して、大工だった祖父が建てた家を、孫の金城武典さんがモダンな息吹を吹き込んで生まれ変わらせた


金城武典さん(35)の母は、6人きょうだいの長女。高校時代は生徒会長も務めたほど、積極的で行動力がある人だった。
「物事に率先して取り組むのが好きな母でした」
そんな母が、金城さんが幼い頃、親兄弟にこんな提案をした。
「親族がみんなで集まれる家を喜如嘉につくりましょうよ」
大宜味村の喜如嘉集落は、金城さん一族のルーツがある土地。祖父母の生まれ故郷であり、母も幼少期をそこで過ごした。
「戦後、祖父母は仕事を求めて喜如嘉を離れ、一家で那覇に移り住みました。母は口癖のように、喜如嘉にみんなで集まって楽しく過ごしたい、思い出を残したいと話していました」
ふるさとにみんなの家を、と母が言い出したのは、一つには、一人っ子の自分のためだったのだろうと、金城さんは9年前に他界した母の心を推し量る。
「女手ひとつで僕を育てるために、母は働き詰めでした。普段かまってあげられない僕に、楽しい思い出を残してあげたい気持ちがあったのだと思います」
幸い、喜如嘉には祖父が所有する土地があった。しかも祖父は元大工。母の提案を喜んだ祖父は、地元の大工らと家を建てた。今から20数年前のことだ。
「祖父としても、喜如嘉に家をつくって、子や孫に一族のルーツを伝えたかったのでしょう」



祖父と地元の大工が組み上げた梁。改装以前は天井板に隠されていたが、「祖父が残した大切なものを泊まった人に見てもらいたい」と板を取り払い、あらわにした。ドライフラワーを所々飾っているのは、「室内にいても自然を感じられるように」


畳間にシャンデリアを組み合わせたのは、和と洋が混ざり合うことで生まれる“化学反応”を感じてほしいから


組子障子は島根県の木工所につくってもらった特注品。「茶室のような空間にしたくていろいろな演出を盛り込んだ中の一つが、この障子。光と影の美しさを味わってもらえたら」​


一度は忘れられた家

母が願った通り、喜如嘉の家は親族の絆を深めるのに役立った。多い時は3世代、20人以上が集い、海や山で遊んだり、縁側でバーベキューをしたりした。
「地元の子どもたちとキャッチボールや鬼ごっこをして遊んだことも忘れられない思い出です。彼らは、よそ者の僕をすぐに遊びの輪に入れてくれました」
当時住んでいた那覇とは「別世界のような」喜如嘉に行くことが、金城さんは楽しみだった。しかし、いつ頃からか、毎週のように通っていたものが、だんだんと毎週が毎月になり、毎月が数カ月おきになって、最後は数年に一度になった。
「高校を出て、デザインを学ぶために上京してからは、喜如嘉の家のことは忘れていました」
足が遠のいていた喜如嘉の家が、再び金城さんの意識に上るようになったのは数年前。映像制作の仕事を辞めて、新しい生き方を模索していた頃だ。飲食店を開くつもりだと東京の友人に話すとこう言われた。
「飲食店をしてどうなるの? もっと自分にしかできないことをした方がいいんじゃない?」
友人たちは手厳しい言葉を浴びせたが、話題が喜如嘉の家におよぶと身を乗り出した。
「その家を生かせば、金城さんにしかできないことがきっとできると思うよ」
物心ついた時から「あるのが当たり前」だった喜如嘉の家に、磨けば光る価値があることを、その時金城さんは悟った。足が再び喜如嘉に向いた。毎日のように集落を散策し、地域の人と言葉を交わし、海や森を眺めた。
「こんなにいいものがある所だったのかと気付かされました」
祖父が建てた家を宿に生まれ変わらせようと、金城さんは決めた。自分のルーツである土地に、人を呼び寄せるために。


宿(右)は、喜如嘉の"目抜き通り"沿い、芭蕉布会館の近くに建つ


祖父と自分を掛け合わせる

金城さんは早速、大掛かりな改装を行った。どこをどう変えるかのアイデアは泉のように湧いて来た。祖父が建てた家を自分の好みで完全に作り替えるのではなく、祖父と自分の個性を「掛け合わせる」ことを考えた。
「先人の知恵を感じる部分には手をつけませんでした。台風でも雨漏りしないセメント瓦の屋根や、この家で一番気に入っている天井の梁は昔のままです」
残すべきものは残し、それ以外は国内外でデザインを学んだ自分の感性の赴くままに現代的にアップデートした。"和"の空間に"洋"のシャンデリアやドライフラワーを自由に取り入れて、懐かしさの中にも斬新さを感じさせる宿を完成させた。
「MOK(今年6月にMOK igusa villaと改名)」と名付けた一棟貸しの宿は昨年オープン。沖縄らしい宿に泊まってみたい旅人の間で人気が広まっている。
「ここを宿に再生するために、少なからぬ経済的負担を背負いましたが、お金に代えられない喜びが僕の心に生まれています」
あのまま放置していたら、いずれ朽ち果てていたであろう家。それが今、旅人に幸せなひと時をプレゼントする場所に生まれ変わった。宿を見た人から、持て余している古家を改装してくれないかと相談されることも増え、デザイナーとして人の役に立てる喜びも感じている。
「ここを残してくれてありがとうと、毎日、母と祖父の仏壇に手を合わせています」
母と祖父もきっと、「ここを生かしてくれてありがとう」と、答えを返していることだろう。



宿の全般的なデザインは、金城さんが考えたが、設計の技術面は友人でもある建築士の伊佐直哉さんに協力を仰いだ。玄関まわりも、金城さんのアイデアをもとに伊佐さんがガラスの強度などを考慮した上でデザインを仕上げた。「さまざまな人の協力があってMOKはできました」


MOKの管理運営を任されているスターリゾートの田口修一郎さんは、「宿泊客から『地域の人との交流を楽しめた』、『村の暮らしを体験できた』といった声もいただいている。活用されずに眠っている民家を再生すれば、地域の活性化にもつながり得ることをMOKは示しています」と語る



オーナーの金城さん。「沖縄の民家は沖縄にしかないもの。残せるものは壊さずに残していけば、次の世代に沖縄の街並みの歴史を伝えられる」と話す。古家の再生を依頼されることが増えてきたため、内装デザインなどを請け負う「Moritz Design(モリツデザイン)」を近く仲間と立ち上げる
 


ライター/馬渕和香
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1668号・2017年12月22日紙面から掲載

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